■□日本から一番近い、アメリカの国立公園
−太平洋戦争国立歴史公園− (前編)
アメリカには、グランドキャニオンやイエローストーンなど
300を越す様々な国立公園が存在します。
アメリカ国立公園は、原生自然環境の維持と保全、
人々が平等に利用できるレクリエーション施設の整備と機能的な運営、
利用者に自然と歴史への理解を深めてもらう
運営とサービスが主要任務で、
アメリカの優れたシステムのひとつとして数えられています。
また公園内のゾーニングや運営手法、
サインシステム、ビジターセンターの展示といった部分も
見るべきものが多く、
博物館関係者や環境教育に携わる人々にも
大いに参考になるものです。
このアメリカの国立公園が、東京から南に約2,500km、
多くの日本人観光客が訪れるグアム島にあるのはあまり知られていません。
今号の話題では、日本から一番近いアメリカの国立公園
War In the Pacific National Historical Park
(以下:太平洋戦争国立歴史公園)に焦点をあて、
今号と次号にわたって紹介いたします。
■太平洋戦争国立歴史公園の設立目的
玄関口であるグアム国際空港から南へおよそ10 km。
グアム島中南部に位置する太平洋戦争国立歴史公園は、
第二次世界大戦時に太平洋に関わる作戦に参加した人々の勇気と
犠牲を讃えるとともに、グアム島の自然環境と
歴史的に価値のある物を将来に渡り保存維持を目的に、
米軍がグアム島奪還のため上陸した海岸をはじめ
7つのユニット(サイト)を
1978年8月に国立歴史公園として指定したものです。
ちなみに国立歴史公園とは、
アメリカの歴史上重要な記念すべき出来事や活動、
人々に対して指定するもので、
規模が小さいものはNational Historic Sitesと呼ばれます。
例えばハワイ島にある古代からの神聖な場所Puuhonua O Honaunauや
南北戦争のきっかけと言われる
1859年のJ・ブラウンによる事件の舞台となった
Harpers Ferry(ウェストヴァージニア州)も
同じ、国立歴史公園としての指定を受けています。
■太平洋戦争国立歴史公園を構成しているもの
米西戦争の結果1898年から米領となっていたグアム島は、
第一次世界大戦後、南洋群島が日本の統治下になると、
太平洋西部上で孤立した格好になっていました。
ハワイ真珠湾奇襲直後、旧日本軍のグアム島上陸が開始され、
1941年12月10日から日本の支配下に入りました。
しかし日本本土への空襲の前線基地を太平洋西部に確保する目的で
1944年6月頃よりマリアナ侵攻作戦が展開され、
グアム島奪還作戦も本格的に開始されました。
太平洋戦争国立歴史公園は、
1944年グアム島奪還作戦に関わる戦跡や遺物などから
太平洋戦争の勃発、グアム戦、
第二次世界大戦を終戦に至らしめるため、
マリアナ諸島が果たした役割など
解説する機会を提供しています。
公園の総面積は2,037エーカー(およそ8,250k?)。
下記の7つのユニット(サイト)から構成されています。
1:Asan Beach Unit
2:Asan Inland Unit
3:Fonte Plateau Unit
4:Piti Guns Unit
5:Mt.Chachao/Mt.Tenjo Unit
6:Agat Unit
7:Mt.alifan unit
次号ではビジターセンターの展示や各ユニットの様子を紹介します。
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