<文化環境研究所 News> 第52号
2002.11.29発行

今号の話題は、
グアムにある太平洋戦争国立歴史公園の最終回です。

−お知らせ−

■□シンポジウム「博物館構想に関する県民提言」
  これからの博物館を考える 
  の実施報告がホームページで公開されました

文化環境研究所 News50号で紹介しました。
2002年11月9日(土)千葉県立中央博物館にて開催された。
シンポジウム「博物館構想に関する県民提言」これからの博物館を考える
の実施報告が下記のアドレス≪↓≫に公開されました。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/boso/hakubutu02.htm

シンポジウムは、千葉県が「行財政改革」の一環として今年6月、
県内11ヶ所ある県立博物館の統廃合を
検討していることが新聞報道されたことを端緒に、
関係者による広く開かれた対話として企画されたものです。

1.挨拶 北村恵美子/千葉県教育庁生涯学習部長
2.報告 
  ●昭和40年代からの県立博物館設置の経緯
   佐久間豊/千葉県教育庁生涯学習部文化財課主幹
  ●中央博物館設置の経緯とこれからの役割
   中村俊彦/千葉県立中央博物館生態・環境研究部長
  ●博物館活動への期待と注文
   田畑貞寿/日本自然保護協会理事長
   佐野郷美/千葉県自然保護連合事務局長
   鈴木優子/千葉まちづくりサポートセンター理事
  ●パネルディスカッション 
   パネラー 上記報告者五名
   コーディネーター 花輪伸一/WWFジャパンシニアオフィサー
  ●参加者による質疑・意見交換


■□ネットミュージアム兵庫文学館が公開されました

全国で初めて、実際の施設を持たずネット上だけで運営される
公立の文学館『ネットミュージアム兵庫文学館』が
11月12日オープンしました。

文学館では、兵庫を舞台とする文学作品や
兵庫ゆかりの作家の作品、業績、写真等の資料を、
その背景となった自然、文化、風土、歴史等と絡めて
インターネットで紹介しています。 

[ネットミュージアム兵庫文学館]http://www.bungaku.pref.hyogo.jp/


■□『記憶のデザイン』フォーラム2002

サステナブル社会のかたち
サステナブルな社会では、素材はどこから来て、どこへ向かうのか?
素材の『記憶』をキーワードにした
デザインの可能性と手法について考えるシリーズ・イベントです。

1.国際エコプロダクツ・シンポジウム
Images for Sustainable Living〜サステナブル社会のかたち
2.展示会『記憶のデザイン』ガーデン〜素材の記憶を呼びさます
3.セミナーA 実践〜地場産業のエコプロダクツ開発への挑戦
4.セミナーB 教育〜海外・国内エコデザイン教育の最新事情

開催日時 2002年12月5日 〜2002年12月7日
開催場所 東京ビッグサイト
入場料金  *国際エコプロダクツ・シンポジウム参加費
一般 3,000円
学生 1,000円
主催者連絡先 03-3578-1458
URL http://www.openhouse.co.jp


−今号の話題−

■□日本から一番近い、アメリカの国立公園
  −太平洋戦争国立歴史公園− (後編)

太平洋戦争国立歴史公園の最終回です。

■Piti Guns Unit

島内に残る多くの戦跡が、戦後50年の歳月による損傷を受ける中、
旧日本海軍の海岸防御砲3基が
比較的良好な状況で残存しているPiti Guns Unit。
ピティと呼ばれる村落の裏側にある入り口から
木々の生い茂る急峻な坂道を登り、
400メートルほど進んだ場所に戦跡が存在します。

ユニット周辺は、海岸に沿った、険しい山道で、
戦時中は、日米両方の軍人が通行した道です。
1920年代末に植樹されたマホガニーが今では林となって広がっています。

■Agat Unit

Asan Beachを西へ、
アプラ海軍基地のゲートを通過し、更に西に進むと、
米軍南側の上陸地点にあたるAgat Unitに到着します。

米軍第1臨時海兵旅団、同じく第77歩兵師団の第305連隊が
旧日本軍の歩兵第38連隊と交戦した場所で、
ガン岬に残る旧日本軍のコンクリート造の要塞は、
米軍の正面上陸部隊に大きな損害を与えたことで知られるています。

アパカ岬、バンギ島には洞窟、掩蔽(えんペい)壕、
兵舎便所の跡や薬箱などが残されています。
海岸沿いと沖合は比較的良好な状態のため、
1944年当時の様子をうかがうことができるそうです。
また海底には、米軍兵器の破片が沈んだまま残存しています。

■その他のユニット

Fonte Plateau Unit
旧日本海軍のコミュニケーション・センターがあった場所。
現在整備中のため、一般に公開されていません。

Mt.alifan unit
旧日本軍駐の屯地で、
米海兵隊と日本軍守備隊の激戦地です。
地表に残った爆撃跡、たこ壷壕、
整壕(ざんごう)等が残っているものの、
未開発地域のため、見学には不便なユニットです。
Mt.Chachao/Mt.Tenjo Unit
テンホ山とチャチャオ山の稜線にあるこの地区は、
アブラ港やオロテ半島など周辺地域を一望できます。
たこ壷壕や第一次世界大戦当時の米軍の砲台などが残されています。

■Asan Inland Unitと Asan Bay Overlook

Asan Inland Unitは1号線道路(通称:マリン・ドライブ)を挟み、
Asan Beach Unitのちょうど反対側に位置しています。

米軍上陸部隊が旧日本軍の激しい抵抗にあった場所である
このユニット全貌は、
ユニットの中を走る6号線道路沿いに位置するAsan Bay Overlookから、
一望することが出来ます。

米軍が上陸した海岸から丘までは一見なだらかに見えますが、
よく見渡すと小さな川や急な崖が数多く存在し、
登坂には多大な労力を要しそうです。

戦後、激戦で焼け野原となった地帯には、
タガンタガンと呼ばれる植物の種子が散布され、
グアム島の広範囲に分布するようになりました。
激戦が繰り広げられたこのユニットも多分に漏れず
今では人の背ほどある植物で覆われ、
当時の様子を偲ばせる面影は残っていません。

Asan Bay Overlookには、
旧日本軍の侵攻から米軍による島の奪還までを描いたレリーフと、
グアムで戦没した米兵と島民の名前
ひとつひとつ銅版に刻んだモニュメントが設置され、
犠牲者を追悼する空間とされています。

■星条旗、グアムの旗、日章旗

Asan Beach Unit、Agat Unitやガン岬、VCなど
主要なユニットやその施設では、
太平洋戦争で亡くなった全ての人々を追悼・祈念する意を込めて、
星条旗、グアムの旗、日章旗が掲げられています。

とはいえ、Asan Beach Unitにある
「リベレーターズ・メモリアル」やAsan Bay Overlookなど、
戦没した米兵と島民を追悼する空間には、
星条旗とグアムの旗のみが掲揚されており、
日本人には少々、苦痛を感じさせる空間です。

取材を手伝ってもらった元自衛官のガイドさんによると、
アメリカ国内や韓国・中国の観光客の方々は、
この公園によく足を運ぶそうですが、
日本人は、たまにビジターセンターに訪れる程度で、
『お客さんを連れて公園全体を案内したのはガイドになって始めてです』
言われるぐらい、日本人観光客にとって関心が少ない場所のようです。

一説によるとグアムでは、日本人約18,000名が亡くなり、
戦後、収集された遺骨は1,000にも満たないそうです。
青く、美しい浜辺にいると、平和そのもののグアム。
しかし、同じ土の下には未だ行方のわからない日本人10,000人以上が
いるという事実を改めて知り、何か物悲しい気持ちになりました。

日本でも、戦争や公害など「負の遺産」をテーマにした
展示施設が多く存在しますが、
今後ますますこの種の情報伝達の重要性が問われるものと思われます。
「関わった全ての人が直視できる公平な情報提供」
今回の取材を通し、再認識した視点です。

[太平洋戦争国立歴史公園] http://www.nps.gov/wapa/index.htm


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