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堀由起子プロフィール
インタビュー:津田雅人 |
水族館の進化を支えた 思想・技術・デザイン津田――日本の水族館は現在、世界と比較しても決してひけをとりません。また水族館の数は世界一で、水族館王国と言われているわけですが、まずは日本で水族館が作られていった歴史的な流れについてお話ください。 堀――水族館の歴史はヨーロッパからスタートして、それがアメリカに移り、日本には戦後、新たに輸入されて開花していった、という順序になると思います。基本的に水族館は博物館学の流れにあり、元々はフランスの自然史博物館の一角にある、ジャルダン・デ・プラントに代表されるように、ビュフォンの博物学的な歴史性を反映させて、いわば生きた資料として生き物を展示していく。そういう流れが基本にあり、それが動物園の一角にできたということです。 それと技術開発ですね。十九世紀に産業振興のための博覧会が盛んになり、その目玉として水槽展示が公開されます。そこから水槽と貯水槽そして、それを維持する。濾過循環システムが ・アルフォード・ロイドによって発見されます。以後ヨーロッパ各地に爆発的な広がりを見せ、さらにアメリカへと広がりました。 アメリカでも同じような歴史をたどりますが、展示手法のスケールが大きいことと、もうひとつアメリカの偉さだと思うのは、アミューズメントを非常に志向しました。それらを上手に組み合わせた、いわゆるマリンランド型の、イルカ、鯨といった海獣類展示ですね。今までのお魚を中心にした水族館から、アミューズメント性を強調したマリンランド型、シーワールド型ができ、テーマパークや遊園地と併用したようなものが大量動員に成功していくことになります。
日本の水族館の第一号は、上野動物園の一角に明治15年(一八八二)に作られた「観魚室(うおのぞき)」ですね。二番目が民間の浅草水族館です。その後、多くの水族館が開館しますが、戦争ですべて廃館閉館になってしまいます。そして、戦後まもなく幾つかの館が再開し、以後現在にいたる展開を見るわけです。 江ノ島水族館が、近代的水族館の第一号としてオープンしたのは一九五四年7月です。その時に運が良いことに、「教養娯楽施設」というタイトルを付けました。教育的であると同時に大衆娯楽としても大いに楽しんでもらう、その両方を打ち出しました。また、私どもはイルカ、鯨も日本で初めてショウを行い、アメリカのシーワールド、マリンランド型を導入する。あるいは水棲動物ということで、アシカ、トド、アザラシとか、ペンギン、鳥類とか、今ではラッコもおりますが、水に関係するありとあらゆるものを水族館動物として、自然史博物館の剥製標本も含め、水族館の動物として取り入れたことが、私どものひとつの新しい在り方です。それが、魚類、海獣類の水族館とか、魚類とイルカ、鯨類の水族館へと全国的にどんどん広まっていく。動物園は官公立型が大部分ですが、民間の水族館は例えば、電鉄系の子会社などが多くなり、発展していった経緯があります。 また見せ方の面では、種類が増えると水槽がどんどん多くなります。昭和30年代の第一次ブームの後、 40年代の第二次ブームで、水槽の大型化、回遊水槽ができます。水槽をジオラマ・パノラマ風にしたり、展示の工夫がされました。そこにマリンランド形式を併設する。その両面を持ったことで、展示手法が拡大化されました。その最後が沖縄海洋博の水族館で大型のジンベイザメを最初に導入した時の、一、二〇〇トンの水槽です。 それが第二次であり、第三次は神戸の須磨水族園以後非常に超大型化した。例えば波の水槽ですね。群で泳ぐ魚を見せるということと、水槽が波動を起こすように、変化をつける。トンネル水槽も第二次ブームの終わり頃から出てき始めました。このように、水族館の発展経緯は、何といっても設備機器の開発です。例えばアクリル水槽にしても今からわず20 数年前です。厚さも15センチが20センチになり、30センチ以上になる。 私どもはよくテストケースにされまして(笑)、亀の水槽が厚めのアクリル水槽を使った最初の場所です。また、トンネル水槽も私どもの発想でもあります。皆さんが先ほどお通りになった地下道を何とかデザインして、トンネル風にして、薄い幕の中を魚が泳ぐようにしたい。何とかトンネル水槽を作ってくださいといったのですが、道路法とか、いろいろと引っかかってできない。その発想が浅虫や能登島の水族館に生きていきます。 それから濾過循環装置、水処理システム、いわゆるライフサポートシステムが日進月歩しました。透明度が高く、殺菌効果もある。これは従来の水槽業者から、水処理を手がけている大手の方々へ幅を広げて、産業としての水処理システムを水族館に導入した。あるいは水族館が「こういう処理システムが可能かどうか」ということで、いろいろな業界の方が入ってきたことで、水族館の内部メンテナンスが非常に良くなり、アメリカよりも進んだ部分があります。そのお陰で第三次ブームは、葛西水族園や大阪の海遊館のように非常に大型化していきます。
そこから、生態展示から生態系展示へと移りました。外の水中空間をそのまま切り取ってきたものです。コンラッド・ローレンツの考え方と同じように、自然をそのまま切り取って、水槽の中に再現する生態系展示となり、ダイナミックで大型で、かつミクロコスモスのように自然再現型の水辺空間になっていきます。 それにはやはりデザインシステムの進歩があります。擬岩の造り方とか、内部の展示システムが自然感の創出に優れてきました。例えば、世界を代表するアメリカのモントレー水族館のように、自然景観も取り込んで、あるいはラッコが遠くで泳いでいる姿もわかるといった、自然界と水族館を両方視野に入れた展示の在り方。エコミュージアムとでもいえるのでしょうか。そういう展示が再び欧米から入ってきました。それが第三次ブームの最盛期ですね。 |
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