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| 実際に訪れていただくとおわかりになると思いますが、博物館のあるような土地で
はないわけです。道は細く、今でも観光バスの運転手から苦情があります。博物館が
あるべき場所にあるのではなく、本当にたんぼの中にあるという感じです。 日本玩
具博物館という大きい名前にした以上、「今、館長はおりません」というのもおかし
な感じがして、「ここは背水の陣で博物館経営に生涯をかけよう」と決意し、退職し
た次第です。あの時、この決断をして良かったと思っております。その後、順調に発
展して、この26年間で本当に大きな博物館に成長しました。最初は46uしかなかった
施設も、現在は建物が6棟、660u。展示ケースの総延長は約170メートルあります。
収蔵品は設立当初は5000点でしたが、現在7万点です。内容も最初は日本の郷土玩
具が中心でしたが、今では小物玩具(駄菓子屋関係のもの)、ブリキ玩具、外国の玩
具と人形と幅が広がり、質的にも高まっております。入館者ですが、最初は無料であ
ったため、カウントしておりません。日本玩具博物館と改称した昭和59年の入館者が
約3万人でした。現在ではそれが倍増して、5〜6万人の線で上下しております。 職員は現在、正規の職員が5名、パートが1名となっております。職員のうち、学芸 員の資格を持っているのが3名です。当館の目的として、子供の文化財である玩具を 集大成して、後世に伝えたいということ、玩具の評価をきちんと高めていきたいとい う理念を掲げており、それに皆がついてきてくれていると思います。 うれしいことに一昨年、個人立ではあるのですが、博物館相当施設の指定を受けま した。聞くところによると、個人立でこの指定を受けているのは全国でもまだ四例ほ どしかないそうです。去年、文部省が「親しむ博物館づくり事業」を全国から公募し ました。70館ほどから応募があったのですが、この指定を受けたのは31館で、私ども も入ることができました。文部省から230万円の事業委嘱費をいただきましたので、 いろいろな活動を展開できました。 「独立採算でよく博物館経営をやっていけますね」と言われるのですが、職員に 「節約」といった言葉をいうこともなく、自然体で現在に至っております。苦しい思 いはありません。博物館としては成功したと言っていただけるようになったと思いま す。その成功理由について私なりにまとめておりますのでご紹介したいと思います。 ひとつは個人経営であるため、身動きしやすいことです。大きな組織では意志決定が なかなかできませんし、いくら良いことでも実行に移せない面もあると思います。そ れから流れを的確にとらえて対応してきたことです。例えばコレクションも最初は日 本の郷土玩具だけでスタートしましたが、駄菓子屋の玩具や世界の玩具、ちりめん細 工と、時代にあわせてコレクションの幅を膨らませてきております。そのことが結果 として、来館者の増加にもつながっていると思います。 私どもの博物館は、実は海外でも何度か展示しております。アメリカのシアトル、 ブラジルのサンパウロやリオデジャネイロやクリチバ、スイスのチューリッヒ、中国 の上海などです。ブラジルやスイスから依頼が来たのは、実施する4〜5ヶ月前でした。 公的なところではこういう事業は絶対にできないでしょう。おそらく1年前に事業計 画が上がっていないと応じることができないと思います。私どもの場合は違います。 私がやろうと決意し、職員も同意すれば、それが可能になる小回りのきく組織なわけ です。これまで海外の展覧会はいずれも大成功でした。 私どもは個人の博物館ではありますが、博物館としての基本は忠実に守っておりま す。博物館も時代の流れによって、いろいろな方向が出てくるとは思いますが、私ど もは博物館は基本的にモノがなければいけないと考えて、収集を第一にしております。 それが結果的に大きな力を生むのにつながったと思います。先ほど申し上げましたよ うに、私どもの博物館は理念を明確にしておりますから、そのことによって優秀な職 員もついてきてくれていると思います。学芸員では勤続10年目の職員がおります。そ の中で専門性も高まりました。職場は和気あいあいです。みんなが力をあわせ大きな 力を発揮することができるわけです。公立の博物館では本当に博物館が好きな人が学 芸員になられて、よかったなと思っていると、4〜5年後に博物館とは関係ないセクシ ョンに転出されることを目にしますが、私どもの場合はそんなことはありません。 |
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