| |目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 次のページ | |
|
インタビュー:
津田雅人/高橋雅裕 |
| 社会の変化に立ち遅れた博物館の機能 |
| ――ミュージアムが社会との関連をどれだけ深められるか、社会性をどれだけ高められるか、そうした意味で、ミュージアムの機能や役割の基準が高くなってきて、その評価についても大きく変化してきています。今後、急速に拡大していくと思われるミュージアムの活動について、総論的に先生のお考えをお聞かせください。 |
| 中川――博物館は世の中を映す鏡だといわれるくらいに、世の中が変われば博物館が変わる。これは当然のことだと思います。ただここ10年くらいの変化というのは世の中が変われば博物館が変わるというレベルをはるかに超えている気がします。それには二つの理由があると思います。
一つには世の中の変わり方が激変したことがまず上げられます。社会の変わり方というのは例えば人類の視点で捉えると、最初にドラスティックな変化をしたのは農耕ということです。それまで採集社会でコレクションしていたものがプロダクションに変わる、生産するようになります。そこでひとつ大きく変わったと思います。ただ、農業というのは自然を離れてはできませんから、コレクションからプロダクションに変わったといってもその変わり方は非常になめらかだったと言えますね。 |
![]() 中川志郎 |
| ところがここ100年ほどの間に農業そのものが工業化して来る。それがいちばん顕著になるのは産業革命ですね。産業革命を挟んで農耕から工業化にものすごい勢いで頂点まで突き進んだ。そこでいちばん典型的なのは機械化とロボット化です。機械化といってもかつては機械を人間が動かしていたのを今度はロボットが動かすようになると、コレクションからプロダクションの次はメイキングですね。同じ作るでもプロダクションでは自然と密接な関わりを持ってやっていた。それがメイキングになると工業化が凄い勢いで進んで大量生産大量消費になった。それをずっとやっていくうちに、どうもこれは違うんじゃないかと思い出したんですね。今までは少なくとも自然のなかの人間ということを感じることはできた、それが段々感じられなくなってきた。画一化やパターン化が進んで、気が付いてみるといちばん重要なこと、生きている人間が生身の人間としてつき合うという、人間性みたいなものがどうもどこかに置き忘れてきているということがあります。 |
![]() 茨城県自然博物館野外風景(以下同) |
それからもう一つは、私たちの生活基盤であった自然というものを回復不可能なくらいに痛めつけてきてしまっている。その二つが、私たちがこれでいいのかと考えるきっかけになったと思います。それが1972年の「人間環境宣言」ですね。それとユネスコから博物館をすべての人に開放しなくてはいけないという勧告「第11回ユネスコ総会・1960」がだされました。今まで画一的な学校教育の中で合理的にものを進めてきたところ、物は凄く豊かになってきたけれども人間性みたいなものを置き忘れてきた、心の部分が無くなってきた、これはどうも違うんじゃないかと。そういう反省から今までの学校中心の教育、画一的な没個性的な教育に問題がある、ということになって1980年代から世界各国で教育改革が始まりました。いわゆる「モノ」から「ココロ」への転換です。 |
| その背景になっているのは生涯教育です。学校中心教育から生涯教育になる。そうすると博物館はその時点でドラスティックな変化を遂げなければならなかったわけですね。なぜなら、学校中心の教育というのがひとつあって博物館というのは社会教育施設としてその外にある、学校というものをアシストするような補完機能として、博物館人も博物館以外の人たちも捉えていた。博物館自体は大事な施設らしい、けれども博物館人がその中で何をやろうと世間的にはそれほど大きな関心を呼ばなかったと思います。ということは博物館は社会のなかで機能していたと博物館人は思っていたけれども、実はほとんど機能していなかった。また、そういうことについて世間から指弾されるということも無かったんですね。 それが、教育システムががらっと変わることになると、今までは学校教育をアシストするものだったが、学校教育と同じような大きさで、あなた方の役割分担はこれですよと、生涯教育の名の下に大きく博物館にかぶさってきた。それが世界の潮流だった。日本はそういう意味では教育は大きく変わったんです。明治の教育と、戦後のデモクラシー教育と、今度の生涯学習は三番目の大改革だと思います。学校の教育がドラスティックに変わった。しかし、本当はそれと一緒に同じようなドラスティックな変化を遂げるべきだった博物館は変わらなかった。変わろうとしていたのかもしれないが、具体的な動きとして見えないというのがあったと思うんです。 たとえば、アメリカやイギリスでは博物館のあるべき方向というものを明確に出していきます。それはドイツでもフランスでもあった。けれども日本の場合には教育はドラスティックな変化を遂げたけれども、博物館はそこまで行かなかったんじゃないかと思います。その点がこれから取り組む大きな課題になっているというのが現状認識です。 |
| |目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 次のページ | |