〜『文環研レポート』17号より〜 |
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■ 「地域学」を身近なものにする「民俗学」の視点と「考現学」の手法「地域学」にとって、その「学」のフィールドは、自明のことながら地域そのものである。暮らしの現場である地域社会は、刻一刻と変化をし、呼吸と鼓動を続けている。 「民俗学」は、そこに伝承され、展開する「現在」の呼吸や鼓動から過去にさかのぼって、生活や文化のルーツをつきとめていく。今まさに眼前に広がっている世界こそが、「民俗学」のフィールドなのである。しかも、日常生活においての、ごく一般の生活体験の蓄積及び実態を対象とする。そういう意味で、現代人には読みづらい書体で記録された“古文書”を読み解くことが必要な「歴史学」や何千年、何万年以前の過去を対象とする「考古学」等に比べ、親しみやすく、取り組みやすい「学」といえる。「学」には調査・記録という行為が必然的に付随するが、その楽しさを「学」として概念化した「考現学」もまた、「民俗学」に近接した「学」であり、市民が「地域学」に取り組み、実地に調査、記録する際の手法として活用されれば、関心や興味をさらに深めていくことにつながっていく。家族や自分、友人たちの生活必需品や嗜好品、近所の商店街の店舗配置や業種構成、スーパーや商店のチラシの宣伝広告、そこには何が無くなり何が新しく生まれてきたか。日常の食材の身元調べ、学校教材の変遷などなど、身の回りの出来事すべてが、「学」の対象となり得るのである。(注8)しかも、市民一人ひとりが、これらの当事者であり、証言者でもあるのである。 例えば、現在の女子中学生達に母の中学時代の写真をもとに、当時の母と同じ服装、同じ持ち物、同じ背景、同じアングルで写真を撮り、それらを博物館で展示する試みなどは、手もとの資料や素材、身近な人々の協力で十分に可能であり、その実現の過程で、当事者達によるワークショップや世代間の交流、そしてファッションの変遷や背景となった自然や町並みの移り変わりなどが自ずから見えくるばかりでなく、「地域学」を耕すことに貢献することにもなる。(注9) 「地域学」を実践するにあたって、身近な生活文化に関心を抱かせる「民俗学」(近年では民俗学や文化人類学を統合した「文化表象学」という領域に当たるか)、観察眼を育成し、新たな見方を触発する「考現学」(近年では「生活学」といわれている)は、一般市民に「学」へと誘う恰好の素材を提供してくれる。 ■ 地域そのものが博物館、市民一人ひとりが学芸員という発想 もともと、博物館は、モノ(資料)を集め保管する「蔵」をベースに機能してきた。「蔵」に集積されたモノは、そこに所属する職員(学芸員)に半ば独占され、彼等による科学的な調査・研究によって価値づけられ、その成果は研究報告書や講演会、研究会、学会での発表、展示等によって公にされ、社会が共有する知の富として蓄積されてきた。この過程にあっては、一般市民は、受動的な立場に立たざるを得なかった。成熟した市民社会、また生涯学習社会にあっては、こうした地域社会共有の富の構築に地域住民自身が加わることは、時代のニーズであり、趨勢でもある。もし、こうしたニーズがないものならば、博物館は不要な機関、施設とみなされても仕方がない。これからの博物館は、地域社会の主体者である市民が、自身で「楽しみの鉱脈」を探り当て、その成果をコミュニティに反映させていくことで市民も博物館も、ともに成長発展して行ける役割が求められる。この意味で、地域博物館は市民のワークショップの場であり、一方でTMO(タウンマネージメントオーガニゼーション)と重なる部分をもつ。そして、ここで大切なのは、市民が求める楽しみの鉱脈が、必ずしも従来の博物館のテリトリーの中にあるとは限らないという点である。多様化した市民の関心が、従来の博物館のフレームからはみ出すことは当然あり得ることであるが、かつての博物館が博物館資料として認知し得なかった浮世絵や漫画、玩具などが、そうであったように、市井における未来の博物館資料は、いつの時代でも、博物館よりも逸早く、市民たちによって注目され、掘り起こされてきた。こうした市民の知的生産活動は、社会の高齢化、情報化とともに、ますます盛んになってくるばかりか、これまで個人的な趣味の世界として囲われ、道楽視されてきた活動が、コミュニテイに開かれ、その価値が共有化されることで、社会性を獲得し、それがまた今日的な町おこし、地域の活性化にも結びついていく。「町並み博物館」や「町ぐるみ博物館」等、ここ10数年以来ブームとなってきている新しいタイプの博物館像は、町並みや歴史的景観とともに、その地域を構成する生業文化や市民によるコレクション文化等までを含めた全てを |
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