〜『文環研レポート』19号より〜 |
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毎年7月下旬、年に一度の地元神社の夏祭りを機に、その地域文化財は人前に姿を現す。江戸時代から宿場町として賑わった街道筋、そこに立ち並ぶ商店の軒下と通りが、その日の夕方近くになると俄かに活気づく。町内の若者たちによって、それぞれの蔵から担ぎ出された屏風仕立ての肉筆絵画が町内各氏子の家々の軒下に展示されるのである。高知県香美郡赤岡町で、百数十年にもわたって続けられている須留田八幡宮夏祭りに繰り広げられる恒例の光景である。展示される文化財が絵師・金蔵の描いた芝居絵であることから、現在では「絵金祭り」として知られるようになり、高知県下を代表する夏祭りの一つにまでなってきている。 重要なのは、そこから現代の市民社会が直面している文化と地域コミュニティとの関わり方に対して多くの示唆を読み取ることができることである。すなわち「絵金祭り」は、地域の文化資源を利活用し、市民自身が自主的にその事業や運営に参加協力し、地域コミュニティの蘇生、形成と市民文化の振興を担ってきた。 二曲の屏風仕立てに表具された約6尺(1.8m)四方の絵画が、店舗の軒下の雨だれ石の上に、それぞれ直接据え置かれる。その数、二十数点。そうして、2つ折りの屏風の真中に、かがり火のように立てられた百匁蝋燭が、宵闇の中に絵金の絵をくっきりと浮かび上がらせ、際立たせる。泥絵の具の赤や黄、緑の原色が、蝋燭の火に照らし出されて、絵金独特のおどろおどろしい夢幻の世界が現出する。この祭りの日には、県内は勿論全国から観光客が訪れ、町の人口は数倍に膨れ上がるという。これらの絵画は、文化財というよりも、地域コミュニティの「お宝」として各町内会が所蔵し、管理している。文化財という官製用語によって規制される杓子定規な定義と扱いのもとでは、絵金の肉筆絵画を野ざらし状態で展示することは出来ないだろうし、しかもその絵の間近にバランスの不安定な燭台の蝋燭(裸火)を配して鑑賞させる方法などは、とても許しがたいものに映るであろう。この祭りには、夜店がでて酔客も繰り出しているのだから、なおさらである。 公立の博物館が公共経済の破綻を理由に、リストラされつつある今日、また博物館のリストラによって公共財である文化財が散逸の危機にある現在、我々は、改めて市民社会における文化と文化財のあり方を問い直す時期にさしかかっているのではないだろうか。
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■東京都近代文学博物館の閉館平成14年の3月、東京都議会は「近代文学博物館条例廃止条例」を起立多数で承認し、1967年(昭和42年)から35年間続いてきた「東京都近代文学博物館」の閉館、廃止を決定した。 当博物館閉館の方針は、東京都が平成12年度に試行的に導入し、翌13年度から本格導入した「行政評価制度」の一連の流れのもとで決定されたもので、そこには、当然のことながら設置運営サイドからみた合理性が十分にうかがえる。都の「行政評価制度」は、@成果重視の都政への転換、A施策・事務事業の不断の見直し等、社会状況に即応する都政の実現等を目指したもので、その結果は広く都民に公開されている。 「行政評価制度」で廃止を打ち出された「東京都近代文学博物館」(教育庁生涯学習部文化課所管)は、平成12年度の制度試行時期に評価対象に取り上げられた施設・機関の一つで、財政難の都が行政評価を下すモデルとしては格好の素材と条件を内に備えていた。(注1)当博物館に対して、知事部局である総務局(当時は総務局、現在は「知事本部」が第2次評価者)の下した判定は「評点E」の「廃止又は休止が必要」としており、その根拠を2つ挙げて説明している。すなわち
(1) 入館者数は目標を概ね達成しているが、近代文学に限定された小規模な博物館を都として今後も所有し続ける意義は薄く、廃止が適当である。(注2) この評価の隔たりは、どこからくるのであろうか。(注5)その辺の事情は、回りくどく、またどこかよそよそしいお役所的な表現でまとめられた文書(事務事業評価票)よりも、議会(「文教委員会」平成14年2月19日開催)での質疑及び答弁が問題の本質を浮き彫りにして興味深い。 この日の文教委員会は「東京都近代文学博物館」にとっては、起死回生の最後のチャンスとなるもので、「東京都近代文学博物館を守る会」が提出した存続への請願を議題の一つとしたものだった。 評価指標のなかで基本指標とした入館者数がほぼ達成されていることを前提に委員の一人(石川議員)が次のような主旨の質疑、発言をしている。 「この種の博物館は、採算性を問題視して廃止するべきものではないし、他県の類似の博物館と比較しても年間5万5千人の利用者を数える近代文学博物館は、大変親しまれている博物館ではないか。その辺の認識と見解をうかがいたい。」 これに対して、生涯学習部長は「1200万都民の利用する東京都の施設としては、年間5万人前後の数値は少ない」との判断を示すとともに、文学博物館に設置されていた運営協議会の意見、すなわち「収蔵資料の有効活用を図ること、寄贈された資料については寄贈者や遺族の意向を尊重すること」等が協議会から求められた経緯を明らかにし、廃館後は「収蔵資料の大半が江戸東京博物館に移管され、企画展や常設展の中に配置される」ことになるだろうとの見解を述べ、続いて約16万7000点に上る資料の行方を憂慮しての「江戸東京博物館に移行される所蔵書籍は何か」との質問に「できるだけ生の資料は持っていきたい」と回答している。質問した委員には膨大な数の資料がそのまま江戸東京博物館に移管されることは、受入先の態勢や収蔵場所の確保等を考えると、不可能だとの思いがあったのである。事実、この博物館の収蔵資料の一部は、全国に散逸していくことになる。
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