〜『文環研レポート』19号より〜 |
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■博物館資料の移動・移管の現状と課題自治体の財政が逼迫し、行財政改革が必要とされる現在の状況では、年々多額の赤字が見込まれる博物館はその断行の影響を最も強く受けざるを得ない。上述した東京都の「文教委員会」での「東京都近代文学博物館の存続に対する請願」は、そっけないほどの簡単なやり取りで、不採択と決定された。「存続の必要なし」とされたわけである。博物館に対する社会的な支持基盤の弱さが、ここにもはっきりと見て取れる。一方、その後に続いた「都立多摩図書館の役割と機能の維持発展に関する請願」は、「都立多摩図書館があぶない!住民と職員の集会実行委員会代表」らから提出されたものであったが、議論は紛糾し、多くの時間(約2時間半)が費やされ、結局多摩図書館の機能特化(分化)を図る都の合理化方針に対して異議を唱える請願は、不採択ではなく保留とされて持ち越された。この議会での対応ひとつ取り上げても、博物館と図書館との差に思い知らされるものがある。現在の日本の博物館はリストラされても致し方ない現況に事実あるのかもしれない。 とすれば、博物館が今後リストラにあい、閉館を余儀なくされるとするならば、どのような道をたどるのだろうか。また、どのような道が待ち構えているのだろうか。 職場を失った職員(公務員)については、配置転換や人事異動(役所には「割愛」という、自治体から自治体への異動もある)という従来の方法があり、失業の心配はまずない。問題は、コレクション(収蔵資料)の移動であり、移管である。この意味では、東京都は先進的な、そしてある意味では国が行うべき試みを行ってきた。都が所有し管理してきた博物館資料の他の地方自治体への寄贈の例は、1995年(平成7年)6月に開館した「野村胡堂・あらえびす記念館」(岩手県紫波郡紫波町)が記憶に新しい。野村胡堂の名は「銭形平次捕物控」の著者として広く知られているが、一方では“あらえびす”(注6)のペンネームで日本のクラシック音楽黎明期に先駆的な役割を果たしたことでも知られ、その音楽分野の愛蔵コレクション(SP盤レコードコレクション約7000枚)が記念館の建設を機に東京都から寄贈されているのである。所蔵資料の中核をなすこれらのコレクションは、現在では貴重な存在となっており、レーザーターンテーブルを使用してのSPレコードコンサートの月例開催、クラシック演奏会の定期公演などが地元住民によって活発に催されるなど、地域文化の醸成と活性化に弾みをもたらしている。 SPレコードコレクションにしてみれば、半ば死蔵化されて東京都の管理下にあった時に比べると、まさに生きる場所を得たといえるのではなかろうか。 博物館のリストラで最も緊急な課題となるのは、それまで所蔵していた資料の保存と保管先の問題、つまり移転先である。その解決には自治体同士の博物館資料の、寄託・寄贈・交換を含めた移動、移管が、ごく当たり前になされる必要がある。もっとも、都道府県にあっては、その傘下にある市町村との連携は、図書館の場合すでに連携が図られており、博物館の場合でも展望は開けていると言えよう。しかし、都道府県を越えての自治体間のコレクションの移動は、多くの困難が待ち受けている。それに比べ、民間と自治体との間における文化財の寄託や寄贈、管理移管については、比較的スムーズにことが運ばれる。 例えば、2001年(平成13年)3月に閉館した「盛岡橋本美術館」は、岩手県紫波町出身の洋画家・橋本八百二氏(1903〜1979)が1975年(昭和50年)に岩手県盛岡市加賀野に創設、77年には財団法人化し、一時は年間入館者10万人を超える「盛岡を代表する美術館」として親しまれてきた施設であった。ところが、近年の入館者数の減少と運営資金難および県立の美術館が新たにオープンするという時代環境の変化から閉館を決めたものであった。運営母体の財団法人は2001年12月の解散後、作品と土地、建物を盛岡市に寄贈する決定を行い、閉館後、空調設備等の不備と管理員の不在から発生した作品の劣化(絵画作品にカビやひび割れ等が発生)現象を急遽、空調設備の整った市の施設(市民文化ホールの収蔵庫)を収容先にあてることにより、その被害の進展を阻止したのであった。寄贈される作品と数は、絵画類約600点、工芸品約30点、彫刻類などを含め、計約900点。これらのなかにはミレーやクールベ、フランスのバルビゾン派の絵画等も含まれている。盛岡市は美術館を持っていないが、当文化ホールの展示室や市の施設である “プラザおでって”のギャラリーを利用して公開展示する予定だという。それにしても、900点を数える作品の保管、保存の環境が心配される。これ以前、盛岡では個人所蔵の馬のコレクションの寄贈と帰属問題が世間を賑せたことがあり、万全の受け入れ態勢を求めた所蔵者の意向に応えることのできなかった盛岡市や岩手県は、それらのコレクションを隣県の青森県十和田市に持って行かれる、という出来事が起こっている。(注7) |
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