〜『文環研レポート』19号より〜 |
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■広域をカバーする「資料保存センター」 町内会の自治機関「街角資料館」等のあり方貸館事業や企画展を主体にし、モノを持たないギャラリーや美術館はあるとしても、コレクションを持たない博物館は、本来あり得ない。コレクションを持つ博物館や美術館がリストラされるとき、当然そこには蓄積され継承されてきたコレクションの行方が案じられなければならない。いや、リストラという大袈裟な機構改革を想定しなくても、博物館資料はこれからも増えこそすれ、減ることはない。集客を保証し、経済的な見返りを館や地域にもたらすことがそれ単独では、期待されないモノ(文化財とは言わないまでも博物館資料等)に対して、我々はどのように向き合うべきであろうか。この課題は、我々の社会に突きつけられた鋭い刃であり、市民が主権者であるはずの民主主義社会、つまり市民社会が現実に機能し得ているかどうかの質及び水準が問われる問題といえるのではないだろうか。 「東京都近代文学博物館」の所蔵資料は、「江戸東京博物館」と都区内の公立図書館(文京区立鴎外記念図書館など)や文学館(調布市武者小路実篤記念館など)にその多くが移管されたが、全国の文学館や博物館にも関係図書や資料が多数寄贈された。例えば、群馬県館林市の「田山花袋記念文学館」には花袋関係の書籍を中心に近代文学関連図書が贈られ、同じ群馬県の「土屋文明記念文学館」には文明関連等の書籍が、また大阪府堺市の「与謝野晶子文芸館」には晶子愛用の鏡台や箪笥などが寄贈されたものの、書籍関連では全体の50%程度に引き取り先が現れなかったといわれている。 今後も博物館のリストラが進むとするならば、その資料は類似の施設や機関にゆだねられ、資料の移動や処分がなされることになろう。しかし、当然のことながら受け入れ先にも、コンセプトやポリシー(設立理念、目的)があり空間的にも限界がある。国や自治体間の連携を通し、市民の合意と自主的参画に基づいた「資料保存センター」のような横断的で広域的な機関が期待できないものであろうか。あるいは、市民自らがこれらの資料をコミュニティの合意と責任のもとで預かり、それぞれの地域のコミュニティで自主管理するという小規模ながらも、市民が直接、管理・運営する「街角資料館」や「蔵ギャラリー」、「お宝ミュージアム」のような施設が実現できないものだろうか。例えば祭礼に使用される山車や山鉾が、神社や公民館の公共空間に保存、管理されているように。高知県赤岡町で「絵金祭り」の絵金の絵が、町民の蔵に収蔵、保管されているように。また近年多くなってきている余裕教室や空き店舗などをこうした文化関連資料の保存、保管及び公開に有効利用することができないだろうか。さらには、これらをネットワーク化し、町ぐるみで連携することで地域全体のポテンシャルを高めていくことが出来ないだろうか。身近にある文化的資源の価値を、自らの手で高め広めていこうという自負と気負いが地域社会を変えていく力になるのではなかろうか。 |
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