補注注1 「平成13年12月11日に出された「平成12年度行政評価報告書」による 注2 入館者の目標値は平成10年度が43,000人(実績値は51,804人)。平成11年度は、目標値44,000人(実績値は43,193人) 注3 江戸東京博物館の平成10年度の入館者目標値は1370,000人(実績値は1,476,198人)、平成11年度の入館者目標値は1,370,000人(実績値は1,376,605人) 注4 総合評価の評点はAからEまで以下のようにランク分けされている。 注5 これら「事務事業評価表」は、(1)事務事業の概要、(2)評価指標、(3)評価、(4)関係団体・都民等からの当該事務事業に対する主な意見、(5)事務事業所管局のコメント、(6)特記事項から構成されており、(3)の「評価」での一次評価は、達成度がほぼ目標達成、効率性も概ね十分とされたものの二次評価では低く評価されている。 注6 本名は野村長一(のむらおさかず)。銭形平次などの小説は野村胡堂(のむらこどう)のペンネームを使用したが、クラシック音楽やレコード評論などの音楽分野の活動には、「あらえびす」というペンネームを使った。命名は盛岡中学時代の友人であった金田一京助と言われている。胡堂は中学時代、バンカラスタイルで通し、そのすさまじさのあまり、京助が「これは、あらえびすだ」と叫んだという。漢字では「荒夷」、夷とは都の人々が野蛮な東国人を指して言った言葉。胡堂の「胡」も “えびす”の意味を持つ。 注7 青森県十和田市は、盛岡市にあった中村コレクションをもとに、2000年(平成12年)馬の博物館「称徳館」をオープンさせている。 注8 終戦50年に当たる1995年(平成7年)12月8日、議員立法により「接取刀剣類の処理に関する法律」(法律第133号)が成立し、文化庁ではこの法律を受けて、旧所有者が判明した刀剣類については返還し、残りの刀剣類に関しては一旦、国庫に返した後、全国の公立博物館等へ無償譲与し、活用・公開されることになった。この法律はわずか5条からなるもので、第1条は(趣旨)で「東京国立博物館に保管されているもの(接取刀剣類)の処理につき必要な事項を定める」ことを述べ、第2条(接取刀剣類の公示)は、「刀剣類ごとに種類や形状、その他文部省令で定める事項を官報で公示」すること、第3条は(返還の請求)、第4条は(返還等の手続き)、この手続きで7本が旧所有者に返還された。第5条では(返還されない接取刀剣類の帰属等)が定められており、重要なのは、この第5条である。同条は、返還先がない刀剣類は「国に帰属する」とし、「国に帰属することとなった接取刀剣類の保管及び処分は、刀剣類に関し、広くかつ高い識見を有する者の協力を求める等により、適切に行われるものとする。」とし、この「適切な処分」の一環で、このたび国が保管、管理していた刀剣類の公立博物館・美術館への移管が実現されたのである。ただ、国庫によって研磨されたものは、譲与の対象から外されている。 注9 「網走市郷土博物館−刀剣展、蘇る赤羽刀の美−/2001年3月開催」のニューズレターより。 注10 日本経済新聞2002年(平成14年)5月20日朝刊―理系白書−より 注11 現在、町内会が集金する会費には町会の関連経費のほかに、赤十字、社会福祉協議会、赤い羽根、歳末助け合い事業等に対する募金が組み込まれている場合が多い。地域の文化保存と支援は、これらと同じか、もっと切実に捉えられていい社会問題であり、「心の豊かさ」を求める現代社会が実現すべき緊急課題でもある。 |