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■展示計画・設計段階
5. 情報が段階的、体系的に身につく仕組みが確立されていない。

 博物館の展示は、実物のモノを展示計画の基盤に据えている。しかし、我が国の博物館の展示は、モノの価値や情報をもとにテーマやストーリーを策定する「帰納法的発想」よりも、情報の検証から構想したテーマやストーリーのもとにモノを当てはめる「演繹法的発想」によって構成されることが多い。したがって、展示全体としてみれば、体系だった情報構成とともにそれらを伝達する方法論(展示解説計画)をも持ち合わせている。しかし、博物館の利用者は、用意されたストーリーに従って展示を見、設定された動線にそって情報との対話を行うとは限らない。いやむしろ、恣意的、場当たり的で、前後の情報との関連性も曖昧なまま、素朴な驚きや疑問、感動という極めて感覚的なとらえ方で対峙することの方が一般 的である。博物館の展示では、意図された情報発信が受け手である来館者に的確に伝わることよりも、むしろ知識体系の一つのモデル事例としてテーマやストーリーがあり、本来、来館者自身が必要とするテーマやストーリーは、そこに展開された情報という繭玉 から、来館者それぞれが自己の嗜好にあった糸を紡ぎだす行為によって糸口を見いだし、そこからその人独自の知識の体系化が構築されるものである。すなわち、博物館展示における情報の体系化と知識化は、それを利用する人々自身がそれまで培ってきた関心や経験、知識度を媒介とした積極的関与があってはじめて身となる性格のもので、博物館利用者の展示との接し方は本来は帰納法的である。そして、そこには利用者の「自主性」「選択」「自己決定」といった個々人の自由な意志に基づく知的行為が保証された場であることが必要である。現在の博物館の展示は、来館者の多様な個性やニーズに応じたプログラムやカリキュラムにまで関心が行き渡っていない。展示は、知識への導入であり、深くきわめるための糸口であり、その関心と興味を触発する装置であるという考え方を一歩進めて、利用者のレベル差や目的に応じた多様な見せ方、感じさせ方が工夫されるべきであり、書籍等のメディアと違った情報空間をフィールドに来館者自身による行為や活動を通 して、知識が増殖し、レベルが深化し、本格的な知の体系化が図られ、自己実現が果 たされていくという筋道をきちんとした形で立てるべきである。それには、展示の博物館全体における位 置づけと、運用の在り方、そして評価の課題が深くかかわってくる。

6. 展示の効果測定・評価のプログラムづくりがなされていない。

 展示を情報として発信する送り手側の意図が、意図通りに受け手側に伝わっているか。その検証は、博物館にあっては長い間重要視されてこなかった。その背景には、技術的な難しさとともに、博物館は強制されて行くものではなく、ましてやそこで発信された知識がどの程度に身についたかという学習に対する評価を求める機関ではない、という考え方があった。一方、利用する側の問題として、博物館の上手な利用法が定着していない、という状況も、展示の効果 測定に関心が向かない要因になっていた。しかし、これからの博物館は、受け手のニーズを常に活動や事業に反映し、博物館を利用することで市民が自己実現を達成し、生き甲斐を感じ、自己成長していく機関となることが望まれる以上、来館者がどのような展示に興味を示し、どのような効果 をもたらしたか等の評価、測定は、展示が次のステップに向かうためにも、また、博物館が社会や市民生活に根づいていくためにも是非とも必要な課題である。

7. 収蔵庫に眠っている資料の公開及び活用が図られていない。

 博物館の展示の場で、来館者が目にすることのできる所蔵資料はごく限られたものになっている。展示にあたっては、一定のサイクルで資料の展示替えを行っている所も多いが、それにしても、その展示数は限られる。保存の見地から、収蔵庫を公開することは現実的ではないとして、眠っている資料の公開にはコンピュータシステムを導入したデータベースの構築と公開が挙げられる。例えば、画像(動画・静止画)や文字情報、音声等をともなったマルチメディアを採用することで、博物館情報の利用頻度も高まり博物館が市民に、より身近な存在になることが予想される。事実、一般 家庭のコンピュータから通信回線を利用して博物館にアクセスし、博物館の情報を入手する試みは、既に一般 化しつつある。


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