| | 目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 次のページ | |
|
インタビュー:
津田雅人/高橋雅裕 |
| ユニバーサル=宇宙に開かれた全方位型・ミュージアムをめざして |
| ――「ユニバーサル・ミュージアム」という言葉は濱田先生がお作りなったとうか が っております。ユニバーサル・デザイン(注1)という言葉は元々あったわけです が 、それがユニバーサル・ミュージアムとなった時、何を意味しているのか。どうい っ たものを目指しているのでしょうか。 |
| 濱田――私は神奈川県立生命の星・地球博物館(注2)の館長を五年間やらせてい
た だいている間、「開かれた博物館」の「開かれた」という意味は、おそらく二通り に 使われるのではないかと思っていました。ひとつはありとあらゆる階層、人の違い
を 超えるという意味です。そこには障害者も含まれるし、海外の人も含まれますし 、地 域に対して開かれていることも含まれます。このように「開かれた」という言葉に
含 まれた意味は非常に大きいものですから、それをユニバーサルという言葉で表現し よ うと思いました。どこまでも開かれている深淵で広大な宇宙を示すこの言葉の方が
、 単に開かれているだけではなく、ニュアンスとしてもきれいですから、その方が徹 底 できるのではないかと思ったわけです。 |
![]() 濱田隆士 |
| もうひとつ、私は地学の専門ですが、ユニバーサル・ステージという全方位で回 転する載物台があります。つまり、あらゆる方向で維持できるものです。普通はジャ
イ ロなのですが、それを方位を変えながら、顕微鏡で見ていくことです。つまり、ユ ニ バーサルとは物事をあらゆる方向から見るという意味もあります。 このふたつを重ね合わせて、これこそ博物館の真髄ではないかと思ったわけです 。 すべてがユニバーサル・デザインでやっていくことが文化的使命であるとは思いま す が、博物館についてはユニバーサル・ミュージアムという形が良いのではないか 。今 までの博物館は動物や植物など、特定の種別で分けられていましたが、特定のモノ 好 きの人向きとか、特定の知識を得るだけではなく、面白いことから難しいことまで 何 でもできるようにしたら良いのではないかと思ったのです。博物館には国立博物館 か ら玩具博物館、大学博物館といろいろありますが、その区切り方は便宜上のもので あ り、本来の性格はユニバーサルではないか。うまい日本語訳が見つからなかったも の ですから、このまま、ユニバーサル・ミュージアムと使うようになった次第です。 ――博物館はヴィジュアル、視覚に訴えることが多いのですが、ユニバーサル・ミ ュ ージアムは視覚以外の五感にも訴えかける必要があるのではないかと思います。そ れ が電子媒体や出版媒体との違いであり、その方面へ博物館機能を拡張しなければい け ない。そういうことも中心にあったのではないでしょうか。 濱田――それは少しニュアンスが違いますね。現在の博物館はそうなっております が 、元々は違いました。博物館は元々、万国物産展から始まっています。食べるもの か ら珍しいもの、匂うものまですべて含まれているわけですから、つまり雰囲気その も のがユニバーサルなのです。それがある国の宝物や収集品をその主対象と考えるよ う になるにつれて、ミュージアムの意味も学問的なものになってしまいました。 でも音楽堂もミュージアムですし、動植物園や水族館も博物館に入るのです。動 物 園特有の匂いもまた、ひとつの雰囲気ですよね。肉食獣特有の鼻につく匂いとか 。こ れも本来は体感のひとつとして、博物館にあったものだと思います。 だから、野外博物館が少なくなり、屋内の建物へと変わり、また定義された分類 学 的なものへとなっていきました。このように博物館が変質していく中で段々と見失 わ れてきたものがユニバーサル意識ではないかと反省しているのです。 原点に戻るという意味では、野外のエコミュージアム的なものも含めて、あらゆる人が現地に行かなくても、そこで雰囲気を感じることができるミュージアム的存在 が 大事なのではないでしょうか。 元々、博物館の「博」という意味は、ユニバーサルという意味です。「物」はモ ノ も含めて、事象という意味ですから、現象も含まれていると理解できます。近代は 反 省の時代だと思いますから、情報化社会になった時、その情報を一度きちんと洗い な おしてみよう。そうすると今使っているのは便宜的であって、初心に還ることが大 事 ではないか。だからこそ、五感に訴える原体験にも結びついていくのではないか 。そ う考えて、ユニバーサル・ミュージアムという言葉を使っている次第です。 ただ一方で、いわゆる健常者以外の人を障害者とか、目の不自由な人と呼ぶのは 非 常にまずいことであるという意見がお医者さんからあります。また、精神医学の方 で は程度の差であり、皆が異常であるという意見もあります。そうなると晴眼者とそ う でない人、見える人と見えない人の区別にしても、見えているけれども焦点があわ な いとか、光は受けているけれども見えないだけとか、実はいろいろな幅があるわけ で す。それを一緒にして、見えないと決めつけてしまうことは、ユニバーサル本来の 意 味から外れているのではないでしょうか。 そうした抵抗があったため、バリアフリー(注3)から上がってきたユニバーサ ル という方向性を強調するには、ユニバーサルという定義自体も拡張する必要がある の ではないか。身障者に対して開かれている、ということもやめてしまった方が良い の ではないかと思ったのです。かつての生涯学習が年寄り向けの学習と思われました が 、あれと同じです。生涯学習も原点に還り、学校教育も含めて考えるべきだと思い ま すが、博物館もそうした坩堝のような感があります。モノだけではなく、概念もい ろ いろと入れ込まれて、それぞれが勝手に主張したところがあります。マネージメン ト 学会は大変だと思いますが、それぞれが違うマネージメント哲学を持っているわけ で す。その共通性はユニバーサル以外はないのではないでしょうか。要するにモノを 提 示するわけです。コレクトしたものを見せるとは、要するにユニバーサルにコレク ト して、ユニバーサルに見せることの還元に他ならないからです。 私は学校で「これからはグローバルが大事だ」と、この言葉が流行る前に言った こ とがありました。総体的、まんべんなくという意味も含めて、グローバルが大事だ と 。そうしたらある女の子が手を挙げて、「先生の言うことではダメだ。それでは細 か い。これからはユニバーサルだ」と言いました。それが三〇年前です。その女の子 は 今、ハワイの天文台のスバルレンズの責任者です。「なるほど。君の言う通りだ 」と 笑っているのですが、広さをとらえる時、ユニバーサルという言葉は若い人たちも 大変気に入っているようです。ユニバーサルはグローバルを超えた概念でもあるわけ で す。 今、グローバルが間違った使われ方をしております。グローバルといった時、均 一 化の方向ばかりに動いているのではないでしょうか。特にインターネットでは、ウェッブサイトを作ればいいといったまずい電子情報の使い方がされています。リテラ シ ーがどこまでいっているのかわからないというメチャクチャな段階になったのは 、本 来のユニバーサルの思想から離れているのではないかと思います。私は二一世紀の キ ーワードとして、生命(いのち)と心(こころ)を挙げましたが、つまりそれがユ ニ バーサルです。 |
| | 目次 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 次のページ | |