|
昨年12月、バングラデシュを訪れる機会に恵まれました。現地の環境教育の状況を調査する目的で、行政、教育機関、NGO等、約20の組織と、都市部、農村部のフィールドを訪問しました。本稿では、その調査内容をもとに、わが国ではあまり知られていないバングラデシュの環境問題と環境教育の概況について報告したいと思います。
バングラデシュは、ベンガル湾に注ぐ、ガンジス川、ブラフマプトラ川、メグナ川の三大河川によって形成された世界最大のデルタ地帯で、国土面積は約14万km2、国全体が平坦な地形となっています。そこでの人々の暮らしは洪水と深く結びついており、人々は河川水位の季節的な変動に対応して農業や漁業を営みながら、自然との間に安定した関係を保ってきました。しかし、20世紀に入ってからの人口の増加は著しく、現在の人口は1億3340万人(2003年央推計)。従来の生活や生産の様式にも大きな変化がみられ、自然環境への人為的な負荷も増大していきました。その結果、現在多くの深刻な問題が生じています。
実際に現地に入ると、まず生活排水、産業排水による水質汚濁が目につきます。人口が集中する都市部では上下水道の整備が追いつかず、一般家庭から出る雑排水が処理されずに直接水路や河川へ流入している場所も多く、悪臭が鼻をつきます。同様にゴミの処理も行き届かず、道路の片隅や水路等、至る場所にゴミが溜まっている状況が見られます。他にも農薬による農作物、水質、土壌の汚染、自動車やレンガ工場の排煙による大気汚染等も深刻な問題です。一方、森林や沿岸域のマングローブ林の伐採による生物の生息地の破壊、乱獲による特定種の減少等、生物多様性の危機に関わる問題も生じています。さらに、人々の普段の生活に密接に関わる深刻な問題として地下水の砒素汚染があります。National Institute for Preventive and Social Medicine (NIPSOM)の研究員によると、原因については様々な説があるが、全て地下水の汲み上げに起因するものと考えられているとのこと。砒素汚染が確認された井戸のある地域は全土に渡り、バングラデシュでは90%以上の人々が飲料水を地下水に頼っているため、中毒症状を訴える患者や皮膚癌患者が急増しています。以上のような多くの問題には貧困の問題が直接的・間接的に絡んでおり、バングラデシュの環境問題は社会的・経済的な問題とも深く関わっています。
現職教員が環境問題についてどのように捉えているのかを確かめるため、初等教育の現職教員研修を行うComillaのPrimary Teacher's Training Institute (PTI)で研修中の教員にヒアリングをしました。その結果、多くの教員は上述の環境問題を認識しており、特に水源の確保や保健衛生の観点から、砒素汚染を含む水質汚濁の問題や下水処理の問題について高い関心をもっていることがわかりました。環境問題の具体的な解決策について尋ねたところ、日常の生活に直接結びつく問題については生活様式の改善や経済的な水準の向上の必要性について話す教員が多くいました。しかし、それらの問題が自然環境が本来有しているどのような特性に人為的な影響が及んだ結果生じているのか、また問題の解決に向けて現在どの段階まで研究レベルで明らかになっており、どのような解決策が有効であるのか等、科学的な見解はなく、科学的知識と関連づけた説明を聞くことはできませんでした。また、生物多様性の危機に関する問題については、認識しているものの、他の問題に比べると関心は低いようでした。
バングラデシュでは1990年にタイで開催された「万人のための教育世界会議」以降、ドナーの支援を受けながら、政府やNGOによって基礎教育の拡大が図られてきました。初等教育(6〜10歳の5年間)については、1992年から無償義務教育が施行されています。小学校には、政府校の他、コミュニティー学校、PTI付属実験校、中等付属小学校、幼稚園併設校、マドラシャ校、NGO運営学校等があります。筆者は政府校であるKaliajuri Government Primary Schoolを訪れて授業の様子を見学しました。環境教育はClass1,2において指導マニュアルに環境に関する事項が触れられてはいますが、教科書の中では具体的に扱われていません。Class3において初めて「Environmental Introduction」として導入され、その科目の中で環境に関する多くの題材がとりあげられます。教科書を見ると、地下水の生活雑排水の河川や湖沼への影響、地下水の砒素汚染と対策等について、教科書の中でイラストを盛り込みながら説明されていました。前述のPTIでは「Sanitation」や「Hygiene」をテーマにした教員研修用モジュールが用意されており、いずれも環境に関する題材を扱ってはいますが、それらは断片的な内容にとどまり、各項目を関連づけて体系的にまとめるようなものは見当たりませんでした。
訪問した組織の方々の話によると、今、バングラデシュの教育現場が必要としていることは「環境教育のための教具・教材の開発・提供」「環境教育のための教員研修の機会の拡大」という意見が圧倒的に多く、その他「環境科学に関するセミナーの開催」「環境教育のための技術的・資金的援助」等があげられました。Directorate of Primary Education(DPE), Ministry of Educationでお話を伺うと、学校教育の現場におけるこれらの要望に共通する背景としては、1)環境教育を実施する教員側の基礎的な知識や情報が不足していること、2)教具・教材が不足していること、3)教員研修参加への制限があり受けられる機会が少ないこと、4)関連組織の連携がとられていないこと等があるとのことでした。
教科書のカリキュラムは教育省の管轄下にあるNational Curriculum and Textbook Board (NCTB)において策定されています。教育現場における環境教育の現状は上述のような状況ですが、近年、環境カリキュラムについての大きな動きがみられます。バングラデシュでは1999年より国連開発計画(UNDP)の資金援助を受けてDepartment of Environment(DoE), Ministry of Environment and Forestを中心に新たな環境カリキュラムづくりが進められています。このカリキュラムがこれから現場に導入されることになりました。このプロジェクトではNCTBはもちろん、バングラデシュ国内の大学や研究機関の各サブジェクトの専門家で構成されるプロジェクトチームがつくられ、開始から6年の間に様々な調査が行われてきました。例えば、先進的な事例のみられるイギリス、カナダ、ニュージーランド、インド等を訪問し、各国の環境カリキュラムを調査したり、試作カリキュラムを作成し、教育現場に導入して評価・検証、改善作業を繰り返し行ったりと、綿密な検討作業を組み込んだカリキュラムづくりが進められてきました。訪問時は導入前でしたが、カリキュラムはほぼ完成の状態でした。プロジェクトに関わったDoEの担当者やダッカ大学Institute of Education and Research (IER)の教員の方々のお話では、従来の「Environmental Introduction」等に比べ、内容はより広く深いものとなっており、児童・生徒が体験的な活動を通して主体的に学習を進められるような構成になっているのがポイント。そして、そのような教育理念に基づいた指導マニュアルも準備されているとのことでした。バングラデシュの学校教育現場における環境教育が、この新しい環境カリキュラムの導入によって大きく変化していくのか、今後の動向に注目していきたいと思います。
筆者への質問、コメントはinfo@bunkanken.comまで。 なお頂いたメールは、 ホームページやメールマガジン等に掲載することもありますので、 あらかじめご了承ください。 なお、掲載時に匿名もしくはペンネームを希望の方はその旨を明記してください。