【Cultivate Vol20 特集◎博物館とコラボレーション事業】より

ミュージアム連携事業のNPO法人化で博物館力のさらなる向上を図る

大阪市立自然史博物館学芸課長代理 山西 良平 プロフィール
インタビュー/高橋信裕



歴史ある友の会と新たなNPO法人で支える新しい博物館の活動

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大阪市立自然史博物館アプローチ

高橋――ミュージアムに対するリテラシーや利用方法は以前と比べてだいぶ変わってきていると思いますが、市民の博物館に対する関わり方は実際の現場ではどのように変わってきているのでしょうか。今までは展示が博物館と利用者の唯一のインターフェイスでしたが、もっと深く広範囲になってきて、利用者側も博物館全体の機能を利用したいということで、市民が博物館を使いこなしていく時代になってきていると思います。例えば友の会の活動が活発になってきたり、自分たちの成果を博物館を舞台として公開していこうとか、今までなかった受身ではない動きがある。博物館を自己実現のために活用していこうとする市民の欲求は、大阪の自然史博物館には特に顕著に現れていると思いますが。

山西――私たちの友の会は、再来年にちょうど五〇周年になります。博物館自体は昭和二五年に市立美術館に間借する形で発足して、その直後に友の会ができました。当時は「自然科学博物館」という名称でしたが、友の会はその後援会という形でスタートしました。当初は学芸員が二人、自前の建物もない状況で、それを何とかしようじゃないかということだったんです。それがだんだんと広がり、学校の古い校舎をもらいうけて、学芸員もそれぞれの分野にひとりずつの体制ができてきました。後援会も「大阪自然科学研究会」という同好会的な組織に脱皮しました。昭和三〇年代、四〇年代と地道な活動を先輩たちが続けてこられた中で、本格的な自然史系の博物館を作ろうという動きが出てきました。
 大阪は特に自然に恵まれていない土地で、公害問題などもありましたから、自然に対する啓発事業は重要だということで、当時の市長さんなどの思い入れもあって昭和四九年に現在の建物ができて名称もナチュラル・ヒストリーを冠して「自然史博物館」と改めました。そのときに研究会組織も友の会に脱皮しました。現在のような学習組織としての性格付けができたのです。今は会員数も増えて、二〇〇〇世帯前後にまでなっています。そもそもが後援会のような形でスタートしていますので、自主的な団体として会員から役員が選出されて会費で運営され、役員の中で事業計画を立てて活動するというふうに博物館とは形の上では独立してやっています。

高橋――博物館をバックアップする機能を友の会が持っていて、博物館もそれに対して協力するという連携は、ずっとうまくいっていたのですよね。

山西――友の会は博物館をうまく利用して自然体験と学習を深めるというスタンスです。博物館は多面的な事業をやっています。特に自然史系博物館の場合、今の自然の状況の中では、市民が自然と触れ合って体験しながら自然に対する理解を深めていくか、野外での自然観察会が非常に大切だと思っておりまして、頻繁に行っています。展示を見に来られて関心を持った方には、ぜひそういう行事に参加してもらえるように願っています。じっさい年間延べ五〇〇〇人前後の方々が、実習や講習会を含めた行事に参加しています。行事に参加された方に対してはぜひリピーターになっていただきたいと思い、友の会をアピールして、会員になっていただけるように努力をしています。
 私たちは友の会の育成に力を注いでいます。友の会は博物館とは別個の組織なのですが、企画の段階から私たちも友の会の中に入っていって、事業に参画する形をとっています。友の会の役員さんたちの会議には、学芸員も全員出席することにしており、一緒に議論に加わることで企画を具体化しています。役員には、社会人の方が多くて、つきっきりの活動はできません。ですから、日常的に友の会のお世話をするのは、我々学芸員の仕事です。その企画をきちっと具体化して最後までやり遂げていくまでは我々の責任だと思っています。
 そういうことから言いますと、友の会事業は私どもが実りある普及教育活動をしようとするときに要になる組織です。友の会の財源は主に会費ですが、財源からみたいちばん大きな事業は、月刊誌である『ネイチャー・スタディ』の発行です。毎月12ページから16ページ建てで、自然に関する記事や博物館の行事の案内を載せて会員に配布をしています。編集は学芸員の中で担当者を決め、その責任でやっています。

高橋−−友の会は博物館とは独立した別個の組織だけど、学芸員の方が実際には関わってお世話しているということですね。「NPO大阪自然史センター」というのは、友の会が脱皮したのか、新しいNPO団体である自然史センターが友の会を包みこんでいったのか、そのへんはいかがなのでしょうか。

山西――もともと友の会は任意団体でしたが、熱心な役員の方々は公的な博物館を支援しているという意識もあり、社会的な認知を得たいという思いがありました。財団化、法人化について検討もなされましたが、そう簡単にはいかないということで先送りになっていたところ、NPO法ができて、これなら法人化できるのではないかということになりました。最初は友の会を移行しようというふうに考えたわけです。ところがNPO法をよく読んでみると、法人化には社会貢献的な意味合いが求められていて、博物館の友の会のように学習組織的なものはすんなり横すべりできないということがわかりました。
 別のファクターとして、友の会は学習組織でありながらミュージアムショップの運営を引きうけていたこともありました。ミュージアムショップのようなものを直接博物館が経営するわけにはいきません。他にお願いできる団体もありませんので、友の会が引き受けていたのです。本来の友の会事業というのは二〇〇〇人余りの会員を対象に運営していくものですが、ショップの規模が大きくなるにつれて、役員会を開いたらその運営の話がどんどん出てきた。時間がとられるしバブルが崩壊して経営も苦しくなってきて、さてどうしよう、というわけです。会員さんはもともと自然が好きで会員になったわけで、役員さんもそういう方々ですから、ソロバン勘定の話は何とかしなくてはならないと。
 そこで、NPO法人なら、そのへんの仕分けもしつつ、全体の傘になるようなものが作れるのではないかということで、友の会もその中のひとつの事業組織として、今までどおりの活動をして自主性を保ちつつ財源も会費でまわしていこうということになったのです。

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大阪自然史フェスティバル風景

高橋――友の会の会員は、NPOの自然史センターの会員でもあるわけですか。

山西――そうではありません。自然史センターの社員はごく少数で、友の会の中のそういう意識をもった役員さんが中心で、われわれ学芸員も参画しています。それとプラスアルファの人たちを入れて、四〇人くらいで構成されています。財源としては、ショップはショップの売上、友の会は会費でという原則です。当初はそれぐらいだと思っていたのですが、文部科学省の科学系博物館教育機能活用推進事業というのがあって、自然史センターがその受け皿になったんです。博物館が直接それを受ける方法もあったのですが、手続き上の問題等があって、自然史センターが受けるのが最も良い選択でした。そういう当初は予想しなかった自然史センターの役割がありました。

高橋――友の会も受け皿になりえたけれど、自然史センターのほうが受け皿としては機動性が高いということでしょうか。

山西――友の会の本来事業からすると、一般会員には直接そういうことは関係ないという点があります。ですから、文部科学省の事業などは自然史センターが受けてやっていくのがふさわしいと考えています。

高橋――友の会というのは、どちらかというと受身的なところがあって、NPOは逆に事業を行い普及するというように能動的であるというところが違うわけですね。

山西――私共の博物館の友の会はもともと学習したいという人たちの集まりです。博物館事業に能動的に参画してくださる方々には、自然史センターがさまざまな機会を提供できるようになればよいと思っています。ボランティアや出版などの事業も、自然史センターの位置付けにして、これからどんどん参画していただけるようにしていこうと思います。それは博物館にとってもありがたいことです。

過渡期にある運営体制の中で高まる市民参加の重要性

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大阪自然史フェスティバル風景
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友の会総会(豚汁での昼食)

高橋――社会の流れとして、国立の博物館も独立行政法人化に移行しました。今までの都道府県、市町村立の博物館は行政が直営したり財団を作って運営を委託しているのが多かったのですが、これからは博物館経営母体が財団法人化、あるいは地方独立行政法人化していくというふうにだんだんシフトが移っていくと思います。そのときに財団法人が直営するミュージアムショップも当然できるし、NPOとして自然史センター的な組織が博物館を支える組織としてパートナーシップ体制を敷くようになっていくと思いますが、そのへんの見通しはいかがですか。

山西――中央の生涯学習審議会から出されたのは、そのように財団に委託することも考えられるということで、必ずしも直営でなくても良いというものでした。その流れで各地に動きが出ていると思います。今のところ、私たちは直営でやっていますが、そういう議論もなされています。一方で、独立行政法人という選択肢も出てきているようないないような、メリット、デメリットがいろいろあると思いますが、そうかと思えば今年になって指定管理者制度というのも出てきています。今までは五〇パーセント以上出資している財団しか管理・運営を受けられなかったのが、民間の業者でも受け手があればできるようになった。公益法人自体がこのまま成り立っていくのかという問題もあると聞いていますので、そうなると自然史博物館の管理・運営についての将来のあり方は、もう一度いろんな選択肢を検討しなおして、望ましいあり方を見つけていく必要があると思っています。

高橋――お役所として行政サービスを充実していかなくてはならない公共お役所として行政サービスを充実していかなくてはならない公共施設で、利用者に対する対応が上手くいかないというところがあったと思います。そこのところは行政外の民間組織が支援団体として存在しなければ、社会のなかでうまく機能していかないという考え方があったと思います。例えば民博の場合は千里文化財団がその役割を担って、両輪でやってきました。そのへんの関係としては、大阪自然史センターの場合、財団という大きな基金や組織力がなくても一般の市民が関われるようなNPO法人になったという認識でいいのでしょうか。

山西――そうですね。私どもが普段、もどかしい思いをしているのは、野外観察会のような自然を体験する行事が申し込み人数が定員の3〜4倍とたいへん多いのでやむなく抽選になったりしていることです。理科離れ、自然離れというのが以前から言われていますが、私たちもそれを深刻に考えています。大阪でも以前でしたら子どもさんに対して親御さんが自分たちの経験に基づいてカブトムシやザリガニを採りに連れていったりしていたところが、今の家庭や学校では親も教師も都会育ちでそういう経験がない。その上、一方では地球環境の問題や自然破壊の問題があって、自然教育をしなくてはならないというプレッシャーも感じておられるわけです。家庭でも学校でもなかなかそういう機会がなくて取り組めていない中で自然史博物館がそういう行事をやっているのを目にされると、「それなら」と申し込んでこられます。
 私たちは年間を通して土日はほとんど埋まってしまうくらいそういう行事をやっていますが、実際にそれに参加されている人数は延べで五〇〇〇人前後で、それが現在の学芸員で直接面倒をみることのできる限界なんです。そうすると、そのような事業をやる主体を学芸員に限らず広げていき、何万人に対してそういうことをできるようにしていかなくてはならない。そこに、自然史センターの将来の大きな役割があるのではないかと思っています。

高橋――ボランティア事業などが博物館から業務委託されて、自然史センターが受け皿になって、何千人単位を何万人単位に増強していこうということですね。

山西――ボランティア事業は平成7年度からスタートしています。どういう事業をやるかという議論がいろいろとありましたが、私どもの場合は館内の案内やレクチャーをやるのではなく、野外の活動の補助スタッフという形で行事の都度、友の会の会員の中からボランティアを募集して野外観察会の充実を図っています。当初は友の会が、現在は自然史センターがボランティア事業を博物館から受託しています。同時に参加されたボランティアの補助スタッフの方々は、研修として事前の下見に一緒に行って、そこで学習を深める機会になるというふうに、わりとうまくいっています。そういう方々が力をつけて、ご自身で地域の観察会などをやったりというようにだんだんと広がっていけばいいと思ってやっています。

高橋――ボランティアの方は、何人くらいいるのでしょう。

山西――私どもは他の博物館と違ってボランティアの登録制度はとっていないんです。友の会の会員の方がボランティアの対象ですから、ある程度は博物館の活動などに関して知っている人たちです。そういう人たちに対して『ネイチャー・スタディ』を通して「今度こういう会がありますので、この日に事前の研修をやりますから来てください」というふうに募集しています。それで延べで年間五〇〇人くらいの方々が協力してくださっています。

高橋――それは、どういう年代でどういう方たちなのでしょうか。

山西――職をリタイアされている方もいらっしゃいますし、主婦の方や現役のサラリーマン、学校の先生など、顔ぶれはけっこう多彩ですね。




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