【Cultivate Vol21 特集◎文化力と都市環境】より

文化の中枢を担うべき、美術館力と博物館力が問われる時代

大阪市立美術館館長、金沢市立 世紀美術館館長(兼務) 蓑 豊
神奈川県立近代美術館館長 酒井 忠康 蓑豊&酒井忠康 プロフィール
司会/高橋信裕 (神奈川県立近代美術館葉山館にて収録)



文化をじっくりと耕すべき時期に、上物の温室ばかりを作り続けてきた。

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酒井忠康(左)、蓑 豊(右)

高橋――2001年に河合隼雄文化庁長官が就任されたときに、文化と経済は車の両輪である、文化の隆盛が経済の発展にとって最も重要だ、文化を振興していくと経済が自ずから活性化していくと語りました。まず、文化に対する時代のニーズが経済の活性化といかに深く関わるかという点からお話しください。

蓑―――ハーバードの著名な経済学者J.K.ガルブレイスが日本に来たときに、河合長官と同じことを、つまり日本は美的産業をやるべきだと言っています。経済から見ると美術館は金食い虫だと思っているから、美術館で金儲けができるとは考えていないが深く考えれば金儲けにつながっているんです。美術館でいいものを見せ、いい企画をやれば感性を養って創造力ができてくる。それがいい仕事につながっていくと考えれば、美術館が持っているすごい力を使わないでいる日本が少しおかしい。
 ヨーロッパもアメリカも美術館産業にお金を出し、いま儲けることより 年先を見ています。だから美術館が国や地方からお金をもらわずに市民のお金でやっている。たとえばシカゴ美術館でも年間 億円近いお金をほとんど寄付でまかなっています。それは産業も街全体も美術館で育ってきたことに対してプライドを持っているからなんです。美術館や交響楽団やあらゆる文化にお金を出す。シカゴには匿名で毎年1億円を出す個人が 人くらいいます。美術館が街を活性化させ将来の人材をつくる。それを孫の代まで読んでいるからお金を出す。ガルブレイスが美的産業をしなさいと言ったのはそういう意味なんですね。バブルの時はみんながこぞって金を出したのに経済が悪化してくると一斉に手を引いているが、本当はいまお金を出すべきなんです。だからこの苦しい時期に建設する金沢市立 世紀美術館の意味は大変大きいんです。

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相模湾を望む神奈川県立近代美術館葉山館・夕景

高橋――神奈川県立近代美術館は1951年に日本でいち早く開館し、以後も先駆的なポジションを維持して、最近葉山に3館目をオープンされました。ここでは日本ではじめてPFIを導入し、コレクションの形成や企画展からマネージメントまで、さまざまな試みを打ち出されています。ここを例に美術館の果たす役割の変遷をふり返っていただけますか。

酒井――当館の歴史は大きくは三期に分かれます。一期は開館当初で、戦後間もない時期に美術館をつくったんですが、当時の内山岩太郎知事はもともと外交畑の人で海外経験が長かったんですね。神奈川県の荒廃ぶりを見て、復興に重要なものは経済などいろいろあるけど、心の癒しが大切だと考えたんです。ブラジルの山奥に行ったときに日系移民の人が大変苦しい生活をしていたんだが家に行くとお花がいけてあった。その光景を見てうたれるものがあった。そういう感受性を持っていたんですね。
 当初は横浜につくる計画だったんですが、いろんな経緯から鎌倉に落ち着いた。モデルとなる美術館は大原美術館があるくらいで、サンプルがないものだからニューヨークや諸外国の近代美術館をモデルにせざるをえなかった。モダンアートと付く美術館では世界で三番目、ニューヨーク、パリに次ぐものといわれています。近代美術館としてスタートした時、ある種の使命感を持っていたんですね。それは基本的な路線をきちんとふまえてやっていくということで、まず近代の発掘調査から始め、当然海外的視点の導入が必要で海外展が半分くらいあった。それから同時代の作家を励ますという意味で個展や二人展があったし、収蔵品ゼロでスタートしたから行政との間でどのように予算化していくかという問題があったり、学芸員といっても何者かわからないような時代でしたから何もかもが手探りのような感じでした。
 僕自身は二期の時代、1964年のオリンピックの年から来ました。日本も経済力がだいぶついて、地方でも 年代までにいろんな美術館が生まれます。その度に視察に来られたり意見を聞かれたりして、二期は日本の美術館施設との協調の時代といえます。その後が三期でそれぞれが自立した美術館活動をしていました。 世紀が終わり世紀が変わっていま第四期を迎えるところです。
 通時的に観たときに、問題は、景気がいいときはどんどんいくが、景気が悪くなると持続性がなくて失速することです。これは個々の美術館の成り立ちにも原因があるけど、もっと大きく見ると文化を耕しておくべき高度成長期、つまり 年代から 年代の畑の苗植えが早すぎた気がします。その時期に美術館をつくりすぎたんです。藤沢市長の葉山さんは当時、葉山市には美術館をつくらない。美術館が欲しい人は近くの鎌倉市に行って見ればいいとはっきり言えた知的な市長だったんです。当時は、自分の地域に文化の花を咲かせるための畑作りをきちんとしていなかった。建物を建てるのが先で非常にあやふやな形で、いわば温室ばかりできてしまった。大切に耕すべきだったというツケが 世紀に入ってまわってきたというのが率直な感想です。

美術館と教育が乖離してしまった。今、美術館はもっと博物館に近づくべきだ。

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葉山館中庭
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葉山館エントランスロビー

蓑―――アメリカの美術館と日本の美術館では成り立ちが全然違うんですね。日本では見せ物としての博物館美術館からはじまっている。それがずっと尾を引いて、建物を造ってただ見せればいいという考えなんです。米国では美術館と美術学校が常に一緒に育ってきた。シカゴアートインスティチュートもボストンもミネアポリスもカンザスシティーも、もともとはエデュケーションと美術館がいっしょに成り立っていたんです。
 1870年代に三大美術館ができてくるんだけど、シカゴ美術館が最初オープンしたときは全部石膏でした。成り立ちが違っていたから日本で美術館とエデュケーションがなかなか合致しないでいまだに苦しんでいる。酒井さんが言われたようにもっと早く気がついて、お金が一番あったときに教育とかみ合わせていればこんな問題は起きていない。

高橋――蓑館長は米国の美術館、文化を支えている主体は行政ではなくて市民であるとお考えですか。

蓑―――そうです。市民にとっての美術館の重要性が親の代から染みついているんです。子どもの時からあらゆる授業で美術館を使うんです。語学でも美術でも歴史の授業でも社会の授業でも、子どもたちを連れてきて作品を通して歴史・社会の教材にしている。日本は美術館は受験と関係ないからそんな時間はもったいないと親が言う。本当は大学受験で最近印象に残った展覧会は何かというような質問が出れば親は必死になって子どもを連れてきます。そのくらいドラスティックな変化がないとだめですね。

酒井――美術館活動の心臓部分にあたる教育の問題から飛躍しますが、今日の課題の都市と文化力については大阪で木村蒹葭堂という展覧会がありましたね。江戸時代に興味のある人なら木村蒹葭堂さんは大変重要な人で、彼は美術館的な活動をしていたわけです。ああいう人がいて都市の色彩が変わってくる。そこには、文化に向かう姿勢があって、たとえば田原藩の渡辺崋山であるとか白河藩の松平定信であるとか、西洋的知識に関心を持っていた秋田藩佐竹曙山の秋田蘭画の一連の活動とか、それぞれ地方に根を持つ世界に通じる非常に優れた文化の成熟した形があったはずなんだけれど、明治以降近代に一気に変わってしまって、そのへんの根が移植されていなかった気がします。

蓑―――根から深く掘り下げていかなくて、上辺のいいところだけしか見なかった。

酒井――山形とか栃木を考えると、山形は新しい都市を畑のなかに、福島は田圃のなかにつくったわけです。本来だったら米沢藩とか鶴岡藩とか福島の郡山藩とか分厚い歴史があるんだが、とくに東北は薩長藩閥政府に徹底的にいじめられたから文化の根は刈り取られてしまったという印象があります。彼らは中央集権的な国をつくってその上で文化を考えようとした。博覧会という中央集権的な全国への発信装置を、みんながお上りさんとして見に来る。日本の博物館はみんな何かの記念物なんですね。それも一つのきっかけにはなるけれどその土地から必然的に誕生したという背景がないですね。

蓑―――大英博物館の成り立ちは明治より少し遅かったんだけど、蒹葭堂みたいなコレクターがいて2万点のコレクションを2万ポンドで売ったのが始まりです。

酒井――もう少し悲しくない結論に導くために我が日本を肯定的に見ていくとすれば、江戸時代の平賀源内がやっていた物産会はある意味で総合的な視点なんですね。近代ヨーロッパの考え方のなかにそういう総合的な視点がありましたが、日本の場合純粋にファインアートの美術館みたいなことになっていった。
 僕は最近の美術館は博物館に近づいたほうが活力を失なわないですむんじゃないかと予感しています。つまり現代美術だとか美術の自立だとかいわれた近代にあって「あの作品は文学的ですね」というと蔑称になっているんですね。お互いに栄養にするべき他の芸術ジャンルがあって、演劇や音楽などが互いに束になってエネルギーにしていくわけじゃないですか。葉山館でも博物館の展覧会をやりたい、だけど皆さんの考えでは美術館をつくったのに、そんなことをするんだったら博物館じゃないかってことになる。でも現代美術にしても提案の仕方を変えれば、全く新しいものを見せるだけじゃなくて、なにかできるんです。

蓑―――僕もそう思う。金沢でいま妹島さんが歴史に残る建築をつくっているんですが、その中でいろんな展覧会をやりたい。批判する人もいるかもしれないが、近代的なものの中であらゆる古いものも見ていきたい。いいものは絶対負けないと思うから 世紀の建物に平安時代のものを並べても面白いと思う。

酒井――たとえばお茶の世界は総合的な文化芸術が凝縮された世界でしょ。日本文化の素地は暮らしと近いところで成り立っていたが、近代になって自立させる方にいってしまった。現代美術の評論家はいまでもそんなことを言っているが、僕は生活と文化を切り離さない考え方、芸術のたしなみ方を復活させるべきだとおもいます。小学校の子どもたちに図画を教えるのはいいけれど、そうじゃなくてお茶の作法、お花のいけ方、書道だっていい。ところがそうじゃなくて画一的になっている。指導者側に画一的にしとかないと教育しにくいという面がある。全国で同じような教科書を使って同じように教えている。

蓑―――独創性がない、ステレオタイプばかりつくっている。学校でも社会でも目立つことが一番悪いことのようになっていて質問しない。会議でも黙っちゃう。でも終わってから質問にくるんです。手をあげてみんなに聞かせてあげればいいんだけれどそうじゃない。これを打破しないと日本はおかしくなる。

酒井――先生も自分の熱意が発揮できる教え方がそれぞれあるはずなんだけれど。魚屋に生まれた先生は魚を他の先生より知っているはずなのに知らないような顔をしている。みんながサラリーマンになって生活感が希薄化しています。

蓑―――だから美術館をもっと利用しないといけないんですよ。




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