【Cultivate Vol21 特集◎文化力と都市環境】より
北九州市長 末吉 興一
プロフィール
インタビュー/高橋信裕
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| レトロ展望室からの景観 |
高橋――北九州市では、近年、特に市長が就任されて以来、ミュージアムの整備に大変力を入れて来られましたね。平成10年に松本清張記念館、続いて自然史歴史(いのちのたび)博物館、環境ミュージアム、海峡ドラマシップ、鉄道記念館など目白押しですが、これらの戦略についてお聞かせください。
末吉――私が市長に就任したのは昭和62年ですが、そのころ北九州市は鉄冷えの時代に入っていました。かつて四大工業地帯と言われ大変繁栄したまちも、前途が暗い、先が見えない状態で失業も多く、鉄と石炭で栄えたまちは「ディクライニングシティ」と言われるまでに衰退していました。まちのイメージも良くなく、「文化不毛の地」とまで言われていました。
こういった状況の中、昭和63年に私は市の長期的施策として「北九州市ルネッサンス構想」を掲げ、まち全体を復興させる取り組みを始めました。北九州市はあくまで「モノづくりのまち」でありつづけたい。しかし、「健康で生きがいを感じる福祉文化都市」にもならなければいけないということで、文化に重点を置いたまちづくりを行うようにしました。
もうひとつ、北九州市はそれまで重工業を中心とした産業で発展してきましたが、構造的に強い都市、あるいは内外から見て魅力ある都市にするためには観光で身を立てていく、所謂「観光立市」という観点が必要だと考えました。今でこそ国も「観光立国」と言っていますが、北九州市は早くから観光に力を注ぎました。私が取組んだ代表的なものが門司港レトロですが、今や年間二〇〇万人以上の観光客が訪れる一大観光地です。
昭和62年頃は、市全体が疲弊しており、観光と言ってもこれといった売り物がありませんでした。「これからは観光だ」と私が言っても市役所の中の誰も自信がない。ですが、よくよく探してみるとさまざまな観光資源がある。北九州の場合、モノづくりの現場、すなわち工場さえも観光資源になる。古くから産業で発展したまちだから、近代化遺産と言われるような美しい建築物や構造物もたくさんある。「産業観光」と言い出したのも北九州市は早かった。そのほか、目の前には関門海峡という資源がある。港や鉄道の整備も北九州は歴史的に早い。よく考えると北九州市は地域全体がミュージアムとなるまちだった。そうすると、これまでの観光という概念、名所旧跡やテーマパーク、温泉や公園というものばかりでなく、市内に存在するいろんなものをつなげていくと人の知的好奇心を満たす「勉強観光」というものができると考えました。
今まで整備してきたミュージアムもそれらを象徴するものです。よそから来たお客さんに北九州市を紹介するものであると同時に、市民には自分たちのまちに自信を持ってもらう、特に青少年に対して、まちの歴史や誇りを伝えていく施設としてミュージアムの整備に力を入れてきたわけです。市民みんなが自信を持つことから文化というものが始まっていくと考えています。
高橋――今年、市制40周年ということで「文化創造」をテーマとした記念事業を展開されているようですが、この事業の目的、今後の取り組みなどについてお聞かせください。
末吉――私は、大きな組織を合併して一体化していくには一世代かかるとみています。私が市長に就任したときが一つの転機でした。5市の対等合併でしたから、へそのないまちだといわれ続けていたんです。就任したのは合併して25年目、私の公約は小倉を都心にして黒崎を副都心にするというものです。二〇〇五年までの長期計画でした。最初にこんなことを言ったら5市はまとらなかったとも言われました。対等合併のイメージはニューヨーク、ボストン、ワシントン、フィラデルフィアというアメリカ東部の都市でした。
私の考えは、都心整備として八〇〇〇億くらいの事業規模で、公的に8割、民間で2割程度の負担をするというものです。途中でまちづくりを変えて集中投資をしたということで、中心から遠い地域などからの批判はありましたが私は断行しました。どの地域も学校とか行政サービスは均等ですが、どこを中心にするかというときに均等ではないんです。この計画がわがまちにとっていいかどうかというのは、何十年かたって評価してもらわなくてはならないでしょう。
冒頭にご指摘のように、私は門司港レトロなど歴史的資源を生かした観光拠点整備とともに、松本清張記念館、自然史歴史博物館、環境ミュージアム、海峡ドラマシップなど、文化施設の整備を積極的に進めてきました。そのほか市には市立美術館のほか、CCAという世界的に注目された現代美術センターがある。また市民活動の中から生まれてきた北九州演劇祭や、国際音楽祭など文化活動が広がってきています。先ほどは観光のお話をしましたが、今度は文化で注目されてきている。こうなると今度は外からいろんな方が訪れたり、住んだりしてくれるようになる。
今年(二〇〇三年)は、特に市制40周年という節目の年にも当たるので、これまでの本市の文化活動を振り返るとともに、今後の方向性を市民みんなで確認していく年とし、文化創造フォーラムや文化芸術活動の助成事業などの「文化創造」をテーマとした、記念事業を展開しています。今年オープンした文化施設としては、4月に芸術文化活動の拠点である「リバーウォーク北九州」を小倉都心部に、また、関門海峡の歴史と文化を伝えるミュージアムとして海峡ドラマシップを門司港地区に整備しました。8月には鉄道の歴史と魅力を伝える施設として九州鉄道記念館を同じく門司港地区にオープンさせました。
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| 海峡ドラマシップ外観 |
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| ハネ橋へつづくボードウォーク |
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| リバーウォーク北九州 |
高橋――対岸の下関市とは県という行政の管轄が違うのですが、これまではこうした二つの行政が連携するという事例はないですね。
末吉――ありませんね。北九州は福岡県の端、下関は山口県の端です。経済的には港を起点に発展してきて、昔は関門県とか海峡府といった提案もありました。門司は小倉より先に、5市で一番先に市になってここから開けてきたんです。次に小倉が市になり十数年経って八幡が市になります。
ここの経済圏を隔てる海峡の幅は数百メートルしかないし、海とはいっても外国の人から見ると川なんです。両側の山から間の川をみる視点ですね。この両岸を一つの地域としてとらえ、連携の効果を上げてきました。例えば門司港レトロ地区や海峡ドラマシップと対岸の下関の海響館、カモンワーフ、唐戸市場、巌流島などとがうまくつながり、この関門地域が長時間の滞在も可能な、広域から集客できる地域に成長しています。
私は下関の市長さんといつも相談をしていて、関門地区の景観整備や観光振興にお互い協力をしています。また、同じものはつくらない。下関に水族館ができれば北九州にはつくらない。また、両市が協力して関門の連絡船を支援したりもしました。そういう協力の積み重ねが関門の魅力を高め、結果として関門を回遊する観光客が増えてきて、下関の水族館や海峡ドラマシップに多くの来館者があると考えています。でも、最初に門司港レトロがなかったら関門地区はこうなっていなかったでしょうね。
特に最近ではJR九州さんやJR西日本さんをはじめとして旅行会社さんの強力なバックアップもあり、列車のチケットと宿泊がパックとなった企画など、今までにないほどこの関門地区に力を注いでもらっています。今年は大河ドラマ「武蔵」の追い風が吹いたのも事実で、色々なプラス要因があったと思います。
今年はちょっと出来過ぎなので、来年以降が少し心配ですけど……。(笑)
高橋――海峡ドラマシップの展示内容は、壇ノ浦の合戦、馬関戦争など戦いが多いんですが、闘いから連携の関係へと歴史が変わったわけですね。
末吉――過去の歴史に目を向けると、関門海峡では、源平合戦、巌流島の決闘、馬関戦争など、日本の歴史上において非常に重要な出来事が数多く起こりました。ただ、細川忠興が熊本に行ってしまうまでは険悪ではなかったんです。一六〇二年に小倉城ができて仲が悪くなっていきます。小倉藩の役目は毛利に対する見張りです。長州は最後まで徳川にたてつくわけで、従って「島津・大友」対「毛利・大内」なんです。経済圏としても大変緊密だったという記録が残っています。本当に仲が悪くなったのは幕末から明治にかけてです。四国連合艦隊の下関砲撃の後、長州藩と戦った幕府側の小倉藩が自ら小倉城を焼いて逃げることになるんですが、幕末の一時期を除いては対立的な地域ではなかったんです。長州と豊前の対立の歴史はあるんですが、今、双方で歴史に残る和解のようなことが出来ないかと考えています。年表に残るような文化事業をやりたいというのが両市長の共通の思いなんです。
高橋――海峡ドラマシップがオープンするまでさまざまなご苦労がおありだったと思いますが、これまでの経緯についてお聞かせください。
末吉――海峡ドラマシップは、地域の活性化につなげることを目的として、福岡県と共同で昭和62年から検討を始め、館のテーマや整備手法などについて例えば初期の構想段階では鈴木健二さんや泉眞也さんなどの学識経験者や、北九州にゆかりのある栗原小巻さんなどの方に意見をいただきながら練ってきました。そして平成9年度に基本計画を策定し、展示・建築の実施設計を進めました。その段階になると今度は、地元のいろんな分野の専門家や、昔のまちの様子に詳しい人たちのご協力がありました。平成13年度に工事着手、平成15年4月に開館を迎えました。実に構想着手から16年もの歳月をかけようやくこの海峡ドラマシップは船出したというところで、この事業に関わった数多くの方に感謝するとともに、今後もこれらのみなさんと協力し合いながら育てて行きたいと考えています。
高橋――海峡ドラマシップは、内容は博物館ですが、言い伝えや歴史というソフトはあるけど見せる物がないということで展示が難しいと思ったんですが、その点で新しい試みがなされていますね。開館して5ヶ月間で入館者数60万人と、当初の年間目標入場者数の40万人を早々と突破し、大変好調のようですが、好調の理由は何でしょうか。
末吉――まず第一は、関門の歴史・文化・自然を総括して見られるミュージアムの誕生ということで、周辺の期待度が非常に高く注目を浴びていることです。門司港レトロは既に一つの観光拠点となっていますが、これまで関門についてわかりやすく説明する施設がなかった。関門海峡を挟んだ北九州、下関地域はわが国を大きく動かした歴史の舞台です。特に大正末期から昭和の初期にかけて門司港は九州のウォール街と言われるほど繁栄した歴史があります。
また、現在はどうかというと、関門海峡は国際航路であり、わが国の物流の重要なポイント、北九州港と下関港は国の特定重要港湾です。そういう関門の歴史や現在の役割などをまとめて伝える施設ができたこと。これは北九州、下関両方の市民にとって待ち望んでいたことだったのです。
そして第二には、門司港レトロはこれまでどちらかというと大人の観光客が多かったのですが、海峡ドラマシップは子どもから大人までを対象にした施設ということで、これまでこの地区に少なかった小・中学生や家族連れの観光客を多く取り込んでいることです。加えて一部無料のゾーンを設けていますので、天気が悪い時でも気軽に遊びに来られます。実際、近くの山に行こうとした観光バスが天気が悪くなったので海峡ドラマシップに行き先を変更したということも何度かありましたね。
高橋――海峡の歴史をテーマにしたという例は世界にあるんですか。
末吉――海峡の双方というのは仲が悪いんです。ホルムズ海峡とかみんな戦争が起こったところですよ。うちの場合「海峡会議」というのをやっています。下関と函館と青森との4市が組んでこれまで15回やってます。これがベースになって下関と仲良くなっていくきっかけになったと思います。今まで「隔てている」というのを「海でつながっている」という発想に変えた。そういう意味での海峡なんです。
そこで、何を一番にするかというと、生きた船が行き交っているところです。それから門司がかつて九州で一番先に栄えているわけでしょ。朝日新聞毎日新聞の印刷所がここにできて、朝鮮半島や当時の満州に新聞を送った所です。かつてのにぎわいのあったところを何とかしたい。それから歴史というと平家滅亡が絶対出て来る。私の希望としては壇ノ浦の合戦の再現をすることが出来ないか、壇ノ浦の当時と今とでは潮流がどのくらい違うのかということをやりたかった。埋め立てが進み、昔にくらべ潮流はずっと速くなっているところもありますが、国際航路の部分は浚渫され潮流が緩くなっている。一体どのくらいの流れだったのかシュミレーションしてみたかったんです。
また、この海峡ドラマシップは博物館法に該当する博物館ではなく、博物館でありながら学芸員をおいていません。今後とも新たな展示や企画展を計画し、魅力ある活きた博物館として運営していくためには、関門の歴史、文化、自然など、さまざまな分野について詳しい方々の協力が必要不可欠です。関門についての勉強会や情報交換を進めていく必要があります。
幸いにも、この関門には計画から建設までお世話になった方や活動意欲のある市民など数多くおられます。このような皆さんと一緒に研究や交流活動を進め、側面から博物館を支えていただきながらこの海峡ドラマシップを育てていきたいと考えています。一人でも多くの方がこの館に興味をもち、館に足を運んでもらえれば幸いです。