![]() |
| 上山信一 Sinichi UEYAMA |
高橋―今回の特集は「コミュニティと博物館」です。先生は「ミュージアムが都市を再生する」(日本経済新聞社刊)で、これからのミュージアムは地域に開かれ、共生するものだといわれています。コミュニティとミュージアムの関係についてどうお考えでしょうか。またNPOがミュージアムで果たす役割についてどうお考えでしょう。
上山―ミュージアムに限らず公立施設を創る場合、市民参画やパブリック・インボルブメント(PI)を得てやっていくということが常識となりつつあります。PIとは、すでにつくる、やるときまった事業について近隣の住民に説明し、彼らの意見をできるだけとり入れてやっていくという手法です。具体的には説明会やワークショップなどから始めます。PIは、昔は児童公園など小さな施設が対象でした。しかし、最近は道路や新空港など、大規模インフラにも導入され始めています。ミュージアムの建設やリニューアルへのPI導入も時間の問題でしょう。
しかし美術館のPIは現実にはむつかしい。公募するとマニアしか集まらない。近所の人との付き合いはあまりない。博物館は地域性があるからまだ公民館の延長線でできますが、美術館は構想段階から市民とどう付き合うか、大きなチャレンジです。青森県などは、構想段階からNPOの参画をよびかけています。ちなみにNPOとの連携では、アートとは無縁だった環境・福祉系などのNPOに可能性を感じます。彼らは日常生活の中でアートのことは考えていない。だが例えば福祉や病院とアートには親和性がある。例えば、いつも恐いと思っていた外科の先生と患者の間で「この絵はちょっといいよね」といった会話が始まる。アートがあると上下関係や組織の縦割りが壊せる。
ちなみに私は日本ではアートも縦割りの業界型組織になっていると思います。実は道路や公共事業と同じ構造です。あえて言うのですが、道路族と同じように芸術族が日本にはいて、既得権益を主張する存在になっていませんか。地域においても、各種芸術団体やアートNPOがアートを逆に囲い込んでしまっている。美術館を地元のアートNPOに任せるというのはいいようでいて、かえって逆効果かもしれません。そういった昔の考え方では「美術館」といった瞬間、縦割り構造におさまってしまう。むしろ、空き倉庫や石造りの昔の銀行の建物の再活用などから始めた方がNPOとの連携はしやすい。例えば酒蔵でコンサートや美術展をやる。武家屋敷でとんがった現代美術展をやる。さらにそこで福祉NPOがお金を集めるためのチャリティオークションもやる。作品も売る。従来の発想だと歴史的建物に現代アートを入れる発想はない。多くは郷土博物館のようになってしまう。文化や歴史を縦割りの発想でとらえるから、すぐ横の現代アートですら入っていけない。特に役所に任せるとだめです。絶対に縦割りの発想を超えない。ですからPIだとか市民との協働というときに漠然と一般市民向けと言っていてもだめです。異質のものをぶつける。すでに力を持っている団体がいい。その典型が福祉や環境のNPOです。
彼らとつきあう中で従来の美術館の固定観も超えられる。固定観というのは、展示室と収蔵室が必ずあって学芸員がいて、入場料を払って入る。絵は売らない。西洋美術中心で日本美術や工芸品は格下といった考え方です。オークションなんてとんでもないしチャリティのためでも会場は使えない。従来の美術館の固定観を壊さない限り、コミュニティとは付き合えない。入場料にしても、特別展ではお金を取るが、常設展やレストラン、ショップはいつもタダというくらいにオープン化しないとだめです。
高橋―本の中で今後は国公立ミュージアムの運営に行政だけではなく、地元のNPOや市民の方々も関わるべきだと主張されています。なぜ特に日本でそれが重要なのでしょうか。
上山―まず何よりもドーセント・ツアー(docentガイドによる案内巡回ツアー)をやるべきだと思います。日本でも広島の平和祈念館などでは、お年寄りが被爆体験を話されたりしています。しかし素人が絵を説明する例はほとんどきかない。アメリカの美術館ではある程度の教育を受けて、本人が熱意をもってしゃべれるようになれば、ボランティアをドーセントとして出してしまう。ひとりで見てもどうせ分からない。それなら少し分かる人が話し相手で案内してくれたほうがいい、という程度の割り切りなんです。
スミソニアンの歴史博物館のドーセント・ツアーで先日、とても面白い体験をしました。ドーセントの元軍人は展示物の説明に加えてアドリブで出征兵士の気分を語る。何のことはない、要はおじいさんの自慢話です。でもそれがとても楽しい。コレクションを介して人と語るというのもミュージアム体験です。ひとりでコレクションに対峙して帰ってくることだけがミュージアム体験ではない。ミュージアムの価値の源泉は何といってもコレクションです。だからこそそれの解説を市民に委ねる。どんどんドーセント・ツアーをやればいいのです。もちろんドーセント教育のセミナーが必要になります。しかし、それこそビジネスチャンスです。あわせて大学院などもつくるべきです。アメリカでは美術館がよく大学院の講座を持っています。
高橋―ところで、情報公開や透明性、そして評価についてはどうお考えですか。
上山―アメリカを見て「なるほど」と思ったのは、ボランティアがリサーチやアシスタント、保全など幅広い分野で仕事をしている。美術館は彼らにいつも見られている。逆にいうとおかしなことや不正をやっていると、外部の人間は手伝ってくれない。そもそも入れられない。そして市民がどんどん現場を手伝っていれば、日本の独立行政法人がやっているような有識者にボランティアで書かせる分厚い報告書などは要らない。何か批判が起こっても、ボランティアの人が弁護の証言に立ってくれる。そういう開かれた世界にしておけば、成果志向というのも管理過剰でなく、良い循環に入っていく。ボランティアの受け入れには実は情報公開の触媒役としての意味がある。美学の修士号を持っている健康な女性などが都会にはたくさんおられます。彼女たちに手伝ってもらうべきです。
高橋―そういう意味では、地方分権というより地域分権ですね。地元の自治会などに公の施設の委託をお願いして自治精神で運営してもらうということも出てくると思いますね。
上山―公民館がそうですよね。日本の歴史をたどれば、温泉や入会地、草刈場など、みんなそうです。ただし、ミュージアムには特に美術館を中心に、絵は売らない、パーティー会場にしない、オークションはしない、といった「やっちゃいけないリスト」が山ほどある。権威主義、学術至上主義に裏打ちされた発想です。ミュージアムが「自分たちは特殊だ」という前提で自己規制している限りは、地域には受け入れられない。もちろんミュージアムは巡礼の対象にもなるし都市や国家の権威の象徴でもある。完全にオープンでは価値がアピールできないという考え方は否定できない。しかしそこは工夫です。アメリカでも寄付金額しだいで入れる部屋が違ったり、参加できるイベントが違ったりする。お寺でも、ご本尊を近くで拝めるのは壇家だけといった具合でしょう。そういうちょっとした差異をつける程度でとどめるだけでよい。
とにかく、美術館はもっとオープンにする。西洋の美術を持ってきて、存在そのものを崇めろというスタイルではやっていけない。ちなみに大学は変われなかった。だから一気に経済原則で仕切られるところにいってしまった。ミュージアムも、今がまさに正念場です。「変わらない」ことがミュージアムの存在の本質なのですが、そのためにこそ、実は大きく変わらなければならないのです。
高橋―国立の場合、独立行政法人化とか民営化に話が進んでいると思いますが、それについてはいかがですか。
上山―独立行政法人化は、情報公開と規制緩和、つまり人とお金の使い方の両方を自由にするという意味では、いいことだったと思います。いいものを持っているのにそれを広くアピールして人々に来てもらうという発想も薄かった。それが世間にアピールする気運が出てきた。京都国立博物館がやったスター・ウォーズ展は、しょっちゅうやるものではないが、まあ何かやってみるという意味ではよいし、「初詣に博物館」(東博)などの工夫も評価したい。ただし入館者数とかコストの追求ばかりでは困る。これは総務省の責任であり、博物館や文部科学省には何の責任もないのですが独立行政法人の評価制度は完全な設計ミスです。目的を主務官庁が与えるという形はそもそもエージェンシーではない。あれは日本独特の従属行政法人とでも言うべき奇妙なものです。法人格を持った外局を役所内に作っただけです。理事も天下りの順送り人事のままで、改革という意味では極めて不徹底です。
高橋―一方で自治体の方では、指定管理者制度が施行され、「公」の施設を純粋な民間事業者にアウトソーシングしていく方向に向かっていますが、そのへんはいかがでしょう。
上山―規制緩和という点では良いと思います。NPOの他、例えばコンサルタントや商社、展示の専門家など、民間組織に頼めるようになる。しかし、議会の議決を2回も経て頼むという手続きは良くない。受注をどこにするかということに直に議会が関与するのもおかしい。形式主義ですね。本来は、ミュージアムに法人格を持たせ理事会をつくってそこが館長と自由に外注先を決めるべきです。本当は地方自治法のあの条項を廃止してしまうことが地方分権です。
高橋―公立館については抜本的規制緩和が必要だということですが、特にどういうところでしょうか。
上山―山ほどあります。地方公務員法自体が非合理のかたまりです。仕事をろくにしない公務員もなかなか辞めさせられない。例えばある県では英語がろくにできない英語教師を辞めさせるのに3年もかかった。人事制度は極端な平等主義で職員はなかなか切磋琢磨をしない。その他こと細かな会計規則など、とにかく目の前にお客様がいるミュージアム運営には全く不向きです。税金を使う行政組織ですから官僚制度と手続きはある程度必要です。しかし、それがミュージアムの本質とは対立する。だから大英博物館などでは国立にもかかわらず理事会に全てを委ねています。