【Cultivate Vol26 特集◎都市と文化環境】より
長崎県政策調整局都市再整備推進課長(参事監) 藤 泉
プロフィール
インタビュー/編集部
![]() |
1571年にポルトガル船が初めて入港。1641年の鎖国以降は開国までの二一八年のあいだ日本と西洋、中国をつなぐ唯一の窓口として栄え、〈和華蘭〉の文化がいまも息づくまち・長崎。まちを歩けば、唐人屋敷、孔子廟など、異国情緒溢れるまち並みに当時を偲ぶことができる。
日本でも有数の観光地である長崎に、今年新たにふたつの顔が加わった。4月には「長崎県美術館」がオープン。東洋有数の規模を誇るスペイン美術コレクションは、国内外の評価も高い。そして、市民が自由に利用できる屋上庭園や館内外のオープンスペース、さらに館に隣接する「長崎水辺の森公園」や運河周辺は、市民の憩いの場として人気を集めている。
つづく11月には「長崎歴史文化博物館」が諏訪の森地区にオープン。長崎の海外交流の舞台となった長崎奉行所立山役所の一部も復元され、長崎の歴史文化研究はもとより、新たな観光の拠点施設としても期待を寄せられている。
その他にも長崎では、出島復元や女神大橋の整備が進められ、来年には、日本で初めてのまち歩き博覧会「長崎さるく博」が開催される。今回は「長崎県美術館」「長崎歴史文化博物館」の設立に、構想段階から関わられた長崎県都市再整備推進課の藤氏に、長崎の目指すこれからの都市の在り方についてお話を伺った。
![]() |
長崎歴史文化博物館 復元された長崎奉行所立山役所 |
![]() |
長崎歴史文化博物館外観 |
![]() |
| 長崎奉行所展示風景 |
![]() |
| 長崎奉行所立山役所御白洲 |
![]() |
| 歴史文化ゾーン展示風景 |
―――新しい美術館と博物館を核にして、いよいよ新たなまちづくりがスタートしましたが、まずこのふたつの施設が驚異的なスピードと画期的なシステムで実現したことが注目を集めています。ここまでの経緯をお聞かせください。。
藤― もともと、1965年にできた美術博物館があって、美術館と博物館の機能を入れていました。当初は先駆的な建物だったんですが、老朽化してきていました。そして、この歴史文化博物館のある諏訪の森周辺はいろいろ歴史の深いところで、知事公舎もありました。1998年の2月にいまの金子原二郎知事が当選したときの公約のなかに「わたしは知事公舎には入りません。この辺り一帯を文化の香りのするまちに再生したい」という提案がありました。知事になってから、それを具体化するために政策創造会議のなかに諏訪の森部会をつくったんです。それが1998年の11月です。この委員長を市川森一先生にお願いしました。市川先生は本県の諫早市の出身で、長崎奉行についてもかなり勉強され、本も書かれておられます。委員会で1年間検討していただいて、その結果を1999年12月15日に提言いただきました。ですから、知事が知事公舎に入らないと言ったことがひとつのキーワードです。それで諏訪の森地区のまちづくりをしていくということになりました。
この提言には3つの要素があります。ひとつは歴史系博物館の設立。ふたつ目は、長崎奉行所立山役所の復元。実はこの場所に立山役所があったのです。3つ目が、県立図書館の古文書の有効保存・活用です。それを受けまして1年かけて検討した結果、「諏訪の森の再整備について(基本方針)」を2000年の11月に、県と長崎市で発表させていただきました。これが政策が具体化する第一歩だったわけです。
歴史系博物館を県と長崎市でつくって、そのなかに長崎奉行所立山役所を復元する。博物館ができるといままでの美術館機能がなくなりますので、美術館については県が単独で臨海部に建設をする。そして図書館をどうするかということで、県立の図書館については長崎市立の図書館の建設構想がありましたので、館ができあがって運営状況を見てから、県の図書館の在り方全体を見直した上で検討しましょうということです。
すぐに年が明けて1月には、美術館と博物館の専門家会議をつくって、3ヶ月間でどういう構想をつくったらいいのかご検討いただきました。2001年の4月には私どもの都市再整備推進課が立ち上がりまして、そこで構想をつくって今日まで来ています。課ができて4年で、美術館と博物館の開館に至りました。
―――大変なスピードですね。それに県と市の共同の仕方もあまり前例がないですね。
藤― ご存じのように長崎というのは、歴史のまちでありながら、県民もそうですが、県外から来た人もなかなか歴史を勉強するところがないんじゃないか、というのがひとつ。そして、観光県といいながら、観光客は減ってきている。単に館を整備するだけでなく、まちづくりという視点で、政策を展開する必要があるんじゃないか、との考えがありました。ですから、一般的には教育委員会での扱いが多いですが、知事部局の政策調整局のセクションで取り扱うようになったんです。もうひとつは、例えば、みなさんがいろんなまちを訪れると、必ず県立、市立の両方の資料館があります。しかし、「海外交流史」という切り口であれば、来館者から見ると県だ市だというのは関係ないんじゃないか。だから、県と長崎市が協力することによって、資料が一元化され、集客力があり、地域の魅力を高める施設ができるんじゃないか、県市共同でもいいんじゃないかということで立ち上がりました。その意味では、新しい発想だと思います。
―――県市共同に加えて、指定管理者制度の本格的な導入例としても注目されています。
藤― そもそも、博物館構想のなかには、直営ではなくて、財団法人に委託をして、民間主体でより効率的な運営をしてもらおうという視点が最初からありましたし、既にNPOまで視野に入れていました。ただその時点では、指定管理者制度なるものができるとは夢にも思いませんでした。ところが2003年の春に、突然そういう制度が降って湧いてきました。そして9月に法律が施行されましたが、それを見てもよくわからないというのが正直なところでした。その後、法律について説明会があり、そこから一気に走り出しまして、急遽条例をつくらなければいけないということで条例作成に入りました。ただ方向としては財団志向でやっていましたので、基本的には財団を含めた民間を公募の対象にするという前提はありました。
![]() |
| 出島地区に整備された親水公園 |
![]() |
| 復元が進む出島 |
![]() |
| 当時の出島の1/15模型 |
―――美術館の方は財団ですね。
藤― これは全国に公募したんです。美術館の条例は2003年の12月県議会に諮り制定しました。おそらくこれくらいの規模の博物館では全国で初めて指定管理者制度を導入した条例だったと思います。この条例を施行して即、指定管理者の募集をしました。しかし、財団以外に応募がありませんでした。結果的には財団が指定管理者となって、この規模では初めての指定管理者になったと思います。
―――このミュージアム振興財団というのは実質的にはどういう組織ですか。
藤― 県の一〇〇%出資団体です。そもそも博物館と美術館の運営をするために準備をしていた財団です。陣容は、学芸員3名と教員1名だけを県から派遣していまして、それ以外の運営スタッフはすべてプロパーで雇っております。まさに民間サイドでそれなりのポジションで仕事をしていた人を採用したわけです。そういう意味では非常に民間に近い組織です。
―――博物館の方は、県と市の共同と指定管理者が乃村工藝社ということですが、組織としては県立でも市立でもないということですか。
藤― はい。そもそも建設費については、県が2、市が1の割合で出し合ってつくってます。運営については県と市で1対1の割合でやっています。それも区分所有ではなくて、持ち分所有にしています。3分の2が県の持ち分で、3分の1が市の持ち分です。ということで、県立でもありませんし、市立でもありません。あえて言えば公立です。形としては、市が県に管理運営を委託するという委託契約を結んでいます。それを受け、県が指定管理者と協定を結んで運営をしています。その三者で協議会をつくって、同じ場で議論して、意見を出し合っていくということにしています。