【Cultivate Vol28 特集◎21世紀、ミュージアム・タウンの創造と展望】より

ミュージアム・タウンの創造と展望

慶應義塾大学名誉教授 井関利明 プロフィール


経済の時代の終焉そして「美と知の時代」へ

「ミュージアム・タウンの創造と展望」
−開かれたミュージアムのために−
  • 「美と知」 (ミューズ) の時代
     −「経済」と「文化」の相互交流・浸透−
  • 「ミュージアム・タウン」の2重の意味
     
    a. 地域活性化とミュージアム
      (関わるミュージアム)
     b. タウン(Town)としてのミュージアム
      (開かれたミュージアム)
  • 地域活性化とミュージアム
     
    −文化ネットワークの結節点(ノード)−
  • タウンとしてのミュージアム
     
    −多様なものの出会い、協働する場−
  • 価値創造するミュージアム
     
    −マーケティング力学の働く場−

 ミュージアムの語源を考えると、ミュージアムとはミューズ(Muse)の神々が住む場所、働く場所でした。ギリシャ語では、ムーサ(Musa)と言い、9人の女神たちをまとめるとムーサイ(Musai)と言います。この女神たちは、それぞれに人間の「美と知」に関わるさまざまな分野を受け持っており、その女神たちが集まる場、あるいは飛び歩いて落ち着く場を「ミュージアム」と言うのです。「美と知」のさまざまな分野を担う女神たちが寄り集う場所が、ミュージアムなのです。

 この女神たちには、小さな羽根が生えていたと言われています。女神たちは自由に羽ばたいて、好きなところに飛んで行き、詩人には詩の霊感を、絵を描く人には新しい刺激を、哲学者や学者には知的な刺激をあたえてまわりました。ミュージアムとは、本来建物としてあるものではなく、ソフトで自由に動き、自由に羽ばたき移動するものなのです。現在では大きく立派な建物のなかにあり、物体化され、形態を持ったものがミュージアムだと考えられていますが、ミュージアムというソフトは本来、どこへでも飛び出して、街中を飛び歩いていいのです。ミュージアムは、あらゆる場所に偏在します。だからこそ、ミューズの女神たちは自由に飛び歩いていたのです。

「経済」の時代はおおかた終わりを遂げたように思いますが、なくなったわけではありません。経済という基盤なくしては、その上で花開くものも多くはありません。経済は土壌、土台であり、欠くべからざるものですが、今はようやく「美と知の時代」が訪れようとしているのです。20世紀は「経済の時代」でしたが、21世紀は「美と知の時代」です。ここから、「美しい国」の発想も生まれるのだと思います。

 これからの「美と知の時代」には、経済と文化が相互に交流し、相互作用します。これまで日本は、経済の面では優れていましたが、文化政策として意識して文化を創造し、海外に輸出してきたわけではありません。ところが、21世紀になって驚くべき変化がありました。日本は残念ながら、もはや諸外国から経済の国とは見られていないのです。日本は「クール・ジャパン」と言われ、漫画やアニメ、デザイン、ミュージック、ファッションなどを創造する、とてもおもしろくて新しい国だと思われているのです。

 6年前に、上海で中国人留学希望者の入学試験をした時には、ほとんどの留学希望者たちが「日本の経済は素晴らしいから、日本で学び、中国の経済発展と日本経済との橋渡しをしたい」と言っていました。しかし、昨年3月に、上海で留学希望者の面接試験をした時には、「日本の経済」と言った者は誰一人としていませんでした。彼らは口を揃えて、「日本のアニメは素晴らしい。日本の映画はすごい。日本のデザインはおもしろい」と、そればかり語るのです。今や日本は、意識しないうちに、大変強力で大きな文化的発信をしていることになるのです。ヨーロッパでは、「第3次ジャポニズムの時代」と言われており、世界は日本を文化の国と見るようになったのです。だとすればこれからは、意識して「美と知」にさらに磨きをかけ、意識的に発信しなければいけないのです。

 社会を真に豊かにするのは「美と知」であり、「美と知」がよりシステマティックにひとつの大きな制度として確立するためには、マネージメントやマーケティングの発想を取り入れなければなりません。そして、この「美と知」および経済はまったく別のものではなく、相互に交流し、相互に浸透することで大きな相乗効果をもたらすのです。

街に出て広がる「関わるミュージアム」

地域活性化とミュージアム
  • ソフト化し、街に出るミュージアム(Off-the-siteの活動)
  • 文化的ネットワークの拠点(連携と関係づくり)
  • 集客・創客のエージェント
  • 地域イメージの向上と活性化
タウン(Town)としての
ミュージアム(街は常に多様、多元)
  • 異質なもののシンフォニー(新しい経験を生む)
  • 拡散型機能(Diffuseness)、開かれたプロセス
  • 子どもたちが集い、協働して創造する場
  • 市民参加のイベントと創造の場

 20世紀は専門分化・分業の時代でした。ミュージアムにはミュージアムの、ビジネスにはビジネスの、大学には大学の特別の役割があると考えられていました。ところが、21世紀は、かつて勝手に分けられてしまった分野がお互いに交流し、相乗効果により新しい価値を生み出す時代なのです。であれば、まずは「美と知」の領域と経済が関わり合うことで、経済はさらに活性化し、「美と知」は安定した基盤の上に大きな成果を生み出すことになるでしょう。

 21世紀が「美と知の時代」になるとすれば、街は「ミュージアム・タウン」へと変化します。「ミュージアム・タウン」には2つの意味があります。そのひとつは、ミュージアムが地域社会と密接に関連しながら、地域の活性化に貢献するということです。「金沢21世紀美術館」のように、ミュージアムを中心とした街づくりが行われることで、地域が活性化するのです。「長崎歴史文化博物館」もきっとそうだと思います。かつて、街は産業やビジネスを中心に発展しましたが、今日では「美と知」の総合体であるミュージアムを中心にして地域が活性化するのです。その時、ミュージアムは、劇場やコンサートホール、図書館、文化団体などとネットワークを結び、街の中核として機能しなければなりません。これが、ミュージアムを中心とした街づくり、すなわち「ミュージアム・タウン」づくりです。

 金沢21世紀美術館は、「マルビー」というニックネームを持つ、丸いガラスの不思議な建物で、外から内部が透けて見えます。内側からも外が見えて、お互いに見合っているのです。館内の無料エリアに入ると、市民たちのさまざまな催しが行われているので、つい丹念に見てまわることになります。さらに内側を見ると、おもしろそうな展示物が見えるので、今度は料金を払って入ってみたくなるのです。普通、ミュージアムでは、内と外が壁で仕切られ、料金を出さなければなかの展示は見られませんが、金沢21世紀美術館は、なかが透けて見えることでかえって多くの人を集めているのです。

 人間とはおもしろいもので、チラチラと透けて見えるものに興味を誘われ、入ってみたいと思う人たちがたくさんいるのです。それがかえって、多くの人たちを惹き付けるのです。入館するつもりではなかった人、有料ゾーンに入るつもりではなかった人も、無料スペースで遊んでいるうちに、誘われてついついお金を出して入ってしまうのです。出てくる時には、なかで何かを楽しみから学んだことが表情から読み取れます。地域活性化とミュージアムは、こうして相乗効果を生み出すのです。

 ミュージアムを中心としたタウンづくりでは、ミュージアムをソフト化することが重要です。ミュージアムというと、なぜ建物のなかでものを展示することだけにこだわるのでしょうか。学芸員の方々は、大変な知識とノウハウをお持ちですが、それらを持って街へ出ることはあまりありません。街のなかへノウハウと知恵とを持って出れば、街角や広場にソフトなミュージアムができますし、ミュージアムが商店街のお祭りに参加してもいいのです。それは将来の新しい来館者を呼び寄せるためのマーケティング的な試みでもあり、人々は集まると同時に、活動に参加するようになるのです。それはミュージアム側から見ると、オフ・ザ・サイト(off-the-site)の活動です。建物のなかで行う限りはオン・ザ・サイト(on-the-site)の活動ですが、これからのミュージアムは積極的に外へ出て、展示物やノウハウなどを展開しながら街中の人々のなかに入っていかなければなりません。

 次に重要なのが、文化的なネットワークの構築です。ひとつの街のなかで、文化イベントや「美と知」に関わるさまざまな活動が、あちらこちらで散発的に行われるよりは、ミュージアムとシアター、ホールが一緒にネットワークをつくって展開すれば、大きな相乗効果をもたらします。これまでは、同じ街であっても、ミュージアムでのイベントとシアターでの新しい催し、昔ながらの地域のお祭りは、まったくバラバラに行われていました。しかし、それらがひとつの有機的なネットワークを構築し、相乗効果を持つような工夫をすれば、ミュージアムは、「美と知」のネットワークを通じて新たな価値を生み出す拠点、ネットワークのひとつの結節点として機能します。これが新しいミュージアムの役割で、ミュージアムは街へ出て「広がる」のです。それこそがまさにミュージアムが「関わる」、つまり「関わるミュージアム」を意味するのです。

 ミュージアムが新たな価値を生み出す拠点となった時、それは同時に集客・創客のひとつのエージェントとして機能します。単に街の人をミュージアムに呼ぶだけではなく、遠く離れた海外からのツーリストを大勢呼び込むことにもつながるのです。その意味でも、ミュージアムが街へ出ることは非常に重要で、それは結局、地域のイメージを向上させるのです。金沢21世紀美術館は新しい顧客を開拓し、1年目には150万人、2年目には120万人の来館者がありましたが、これはミュージアムの入館者としては異例の数字です。街のなかに素晴らしいミュージアムがひとつあることで、地域のイメージが大きく変わります。旅行代理店は、ミュージアムを目玉にした旅行を売り出すようになるかもしれません。

市民や子どもたちが参加する「開かれたミュージアム」

価値創造の場としてのミュージアム
−マーケティング・ダイナミクスが働く場−
  • 自己表現の場(Uploadingの時代)
  • 新しい経験と学習の場、発見の場、対話の場
    −驚き、感動し、楽しみ、喜びの場と機会−
  • 革新的・先進的建造物のサイト
  • 五感が覚醒し、混淆する場
  • デジタル技術がもたらす“新しい現実”

 「ミュージアム・タウン」のもうひとつの意味は、ミュージアム自体のなかにタウンを持つことが必要だということです。タウンとは、多様で異質な要素を含み、変化し、動いているプロセスです。そうした異質で多元的なものが、ミュージアムのなかにあっていいのです。ミュージアムの機能とは、収蔵品を大事に保存し、それを上手く展示するだけではありません。ミュージアムのなかには、建物や庭、そして広大な敷地を含め、まだまだ使われていない場所がたくさんあり、それを上手く利用すれば、ミュージアムの外側にあるさまざまな事象を取り込んでいくことが可能です。これが、先に述べた「関わるミュージアム」に対し、「開かれたミュージアム」と言われるものです。

「開かれたミュージアム」では、さまざまな異質なものが集まり、ひとつのシンフォニーを奏でます。これは街のあり様とまったく同じで、どの街にもさまざまな職業の人が住み、いろいろな商店が存在します。住む人もお店も多様で、それぞれに異質であり、ひとつの街のなかにさまざまな活動拠点がバラバラに点在しているのです。それがタウンであり、ミュージアムのなかには、それと同じ機能が縮小された形でなければいけないのです。ミュージアム自体がタウンになるのです。

 ミュージアムのなかで、食事や買い物を楽しみ、催し物で有意義な時間を過ごすことができれば、親たちは今度は子どもたちを連れて一緒に来ようと思います。これは、まさに街と同じです。こうしたミュージアムのあり方を拡散型機能、「開かれたプロセス」と言うのに対して、ひとつか2つの機能に限定したあり方は集中型機能と言われます。街は、特定の機能のために存在するものではなく、多目的、かつ多元的で多様な構成要素によって成り立つものです。これからのミュージアムは、いかに多様な機能を用意し、拡散する機能をいかに有効に活用するかという点がますます重要になると思われます。ミュージアムは、単に展示物を見る場というだけでなく、市民や子どもたちが集い、日々何かを新たに学び、協働して創造する場にもなり得るのです。

 これまで、子どもたちが、ミュージアムを利用することは多くありませんでした。夏休みの宿題をするために科学博物館に行くことはあっても、日常的にミュージアムに来ることはありませんでした。しかし、ようやく今、ミュージアムの次の世代の顧客として子どもたちがクローズアップされ、子どもを集客することをめざしたミュージアムが生まれ始めているのです。これは、非常に大事なことです。そこは、まさに市民や子どもたちが自由に参加して、さまざまなイベントが行われる創造の場であり、市民が学習するための場です。決して、市民を教育する場ではありません。というのは、教育とは何かをあたえる側の視点に立った言葉ですが、これからのミュージアムには利用者の視点に立つことが求められているのです。ですから、ミュージアムを活用する側の視点に立ち、市民の「学びの場」づくりをめざさなければならないのです。

 私自身の人生をふり返りますと、学校は決して「学びの場」ではありませんでした。私にとっては街こそが学びの場であり、「あなたの教室はどこか」と問われたら、私ははっきりと「猥雑で、何があるかわからない街のなかだ」と断言します。今日の私があるのは、街なかで学んだからです。今後、ミュージアムが学びの場となり、しかも「開かれ、関わり合うミュージアム」となるためには、ミュージアムは「まち」にならなければならないのです。そこで、人々は新しい「美と知」を学び、21世紀を創造するのです。ミュージアムは、まさに「美しい国」づくりのための拠点とならなければならないのです。

驚きと感動を提供し新たな価値を創造する

“Marketing”の新しい定義
  • マーケティングとは、立場の異なる複数の当事者同士が相互に関わり合い、ダイアローグを通じて、新しい価値を創り出し、ともに目的を達成し、かつ満足を増進させていく、継続的でスパイラルなプロセスである
  • マーケティングとは、関係づくりの社会的作法である

 今は「Web 2.0」という言葉に代表されるように、自己表現の時代とも言われています。「Web 2.0」以前は、インターネットとは無限にあるデータベースやアーカイブから、さまざまな情報やコンテンツを引き出す場であり、サーバーに入っている音楽の数々をダウンロードする場でした。しかし、ダウンロードの時代は終わり、今は誰もが自由に自分の意見や考えをブログやミクシィ、ユーチューブなどのサイトにアップロードしています。こうしたサイトへのアクセス数は、今日では膨大な数にのぼります。インターネット上に多くの人が集まり、新しいものが創造されているのです。

 専門家が書いた百科事典や辞書は、出版された時点で情報が止まってしまいます。しかし、素人である一般の人々が自分で調べて、考えたものをアップロードしている「ウィキペディア」というインターネット上の百科事典は、今日よりも明日、明日よりも明後日と常に改訂され、新しい項目が追加され、たえず進化するのです。今はあらゆる人が、インターネットの上で自己表現を始めているのです。

 そうしたインターネットの変化は、ミュージアムにも応用できるのではないでしょうか。「Web 2.0」型のミュージアムがあってもいいのです。誰もが自由にミュージアムに集まり、季節ごとにテーマを決めて、絵画や書、彫刻、インスタレーションなど自由な方法で表現をする。大勢の市民が参加し、自己表現できる場づくりが求められているのです。しかし、今は街なかで自由に自己表現をし、成果を人に披露する場がありません。本物のダヴィンチやゴッホ、印象派の作品にふれる経験は確かに大切ですが、一方で無名の一般の人たちがコツコツとつくりためた作品や、自分のなかの突発的、芸術的な衝動を表現した結果を、多くの人とわかち合えるような場、自由な自己表現の機会と場が求められているのです。

 さらには、「新しい経験と学習の場」「発見の場」「対話の場」としての役割も大切です。今はミュージアムが開かれ、いろいろなものを取り込み、異質なもの同士が関わり合いながら、新しい対話を生み出しています。「学問は驚きから始まる」という言葉がありますが、ミュージアムに来れば、誰もが新たな発見に驚き、感動を経験するのです。ミュージアムは、楽しむことのできる喜びの場なのです。驚きのないところには、単なる知識の伝授しかありません。人は驚きに刺激され、何かを学びたいと欲しますし、「美も知」も驚きと興奮から始まるのです。
 21世紀の「美と知の時代」は、驚き、感動し、楽しみ、喜ぶ経験から始まり、ミュージアムはそれを体験できる場にならなければならないのです。そこでは、五感が覚醒して混交する、めまいのするような瞬間を何度でも経験できるのです。ミュージアムの革新は、館の内側だけにとどまりません。今は世界を見渡しても、意表をついて人を驚かすような革新的、先進的な建物のほとんどはミュージアムです。世界中のミュージアムだけを巡り歩く建築ファンが存在し、建物だけで多くの人を集客するミュージアムがたくさんあるのです。

 さらにデジタル・メディアの時代が到来し、最先端のデジタル技術は、ミュージアムにも新たな可能性をもたらしています。X線を照射して名画を裏側から眺めると、われわれの知っている絵の奥にもうひとつの絵があったり、モナリザの微笑の裏にいやらしい男の顔が見えたりするかもしれないのです。たとえ手元に収蔵品がなくても、今は世界中からあらゆるデータやコンテンツを集めて比較することも可能です。これからのミュージアムは、新たな価値を創造する場、マーケティング・ダイナミクスが働く場にならなければならないのです。ミュージアムの可能性は無限に広がっており、だからこそミュージアムは、21世紀の「美と知」を創る拠点となるのです。学芸員の方々には、是非こうした高い志を持ち、日本中に「ミュージアム・タウン」を創り出すために参加し、貢献していただきたいと思います。



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