【文環研レポート Vol23】より
文化環境研究所 主任研究員 吉田雅之
「市民社会の成熟」、「生涯学習社会の到来」とも呼ばれる時代、従来博物館が担って来た活動も、様々な団体・組織において行われ、その活動内容に違いは無いかのように感じられる。社会教育の視点から考えれば、様々な団体・組織による社会教育活動の実践は、歓迎されるべきことである。活動を開催する側、参加する側ともに市民参加が顕著に見られる。博物館はそれらの活動へ、よりよい支援を行い、連携を図り、自らは体制を整え、博物館ならではの活動を打ち出して行くことが求められている。市町村合併や予算削減などにより、存続すら、危ぶまれている状況の中にあって、博物館が地域に存在する意義を市民に明確に示す活動が、ますます必要とされている。社会教育法に基づいて活動する博物館が、公民館や図書館など他の社会教育施設と異なる点は、自ら収集した資料(モノ)を活用して社会教育を行っているところである。この点から博物館がそのよってたつ地域の資料の調査、収集という活動を出発点として、諸活動を展開する社会教育施設である意味を見つめ直したい。そしてそれを市民に向けてどのように発信していくべきであるのかを考察したい。
資料(モノ)を活用し資料を通して情報を伝達することが、博物館の特色である。しかしながら、この発信表現に至るまでの基礎作業、博物館の根幹を支える、資料の調査、収集、保存活動については、広く市民に知られていないのではないだろうか。調査、収集、そして将来活用されることを前提とした保存にともなう、資料一点一点の整理と基礎調査という、資料収蔵にともなう一連の博物館の活動(以後これを「基盤活動」と呼ぶ)と、それをもとにした研究成果としての展示という、一連の活動を市民に理解してもらうための働きかけが必要ではないだろうか。なぜなら、市民に活動を理解してもらうことが、博物館が地域に存在する意義の理解へつながると考えるからである。さらには博物館活動を市民とともに進めることこそが、地域によってたつ博物館のめざす社会教育であろう。その具体的な活動のありようを追求することが求められる。
注目されない、展示されていない多くの資料に対する地道な「基盤活動」の積み重ねこそが、博物館の活動を支えていること、それは同時に、博物館がよってたつ地域の財産の集積、保存継承であることを、博物館活動を通して市民に伝えなければならない。この点を広く発信することは、同時に、地域の歴史文化への理解につながり、博物館が担う社会教育そのものであると思う。次に、以上の点も踏まえてもう少し「基盤活動」について考えてみたい。
資料はそのまま展示資料として、または利用者が活用できる状態で収蔵されているわけではない。資料は、利用者への公開や展示するに至るまでにいくつかの作業プロセスを経なければならない。資料を収蔵庫へ受け入れる時の状況は実に様々である。少なくとも教育という視点からの活用を考えた場合、資料整理は未完成である場合が多い。資料に附帯していた履歴、資料そのものが包含している情報など、既に収蔵されている資料、これから収蔵しようとしている資料ともに、活用するためには物理的な処置と資料の位置づけが必要である。これが「基盤活動」に含まれる資料への基礎作業と調査にあたると言えるのだが、収蔵された時以降は、何らかの目的でその資料が再び必要とされる時まで、基礎研究が進められ、深められる機会が訪れることは少ない。「基盤活動」以上に資料の基礎研究には手間と時間がかかるのである。それを経る間もなく、博物館の現場では一点一点の資料の活用のあり方、資料へのアクセスやその手法の一つであるデジタルデータベース化についてなどの課題に追われることになる。
では、一見脈絡もなく、ばらばらと収蔵されて行くかに思える資料が博物館に存在している意味、そもそも資料の調査、収集、保存という一連の「基盤活動」は何のために行われるのか。それは、博物館がよってたつ地域の、過去、現在、未来のために行われる活動なのである。我々が生活している現在が存在するのは、先人たちの営みの積み重ねの上に成り立っているという認識のもと、畏敬の念を持って、過去の事象に向き合い、資料を分析し、活用する。先人の歩み(資料)を活かすための、先人からの学びに連なる活動である。そして、将来のために新しい苗木を植え続けて行くように、現在すぐに活用できなくても、未来の人々へ向けて作業を続けなくてはならない。未来へ向けての作業が連綿と続けられてきた結果が「現在」の収蔵庫の状態となるのであるから。
未来の人々へ向けての調査・収集ということを考えた時、資料(モノ)と情報(コト)が様々なかたちで飛躍的に増加した現在にあって、人々の暮らしを紐解く資料として、その証として、何を収集・保存すべきなのか、地域を代表して、博物館はその重要な役割を担っている。
以上の様な重要な「基盤活動」を地域において連綿と続けてきた、また続けて行く使命を担っている博物館は、現在どのような状況に置かれているのだろうか。近年、博物館の評価や利用者調査などに基づいて、博物館活動のあるべき姿をめぐっての議論がさかんである。博物館の潜在的な利用者、来館者に対しての調査は、それらの人々が博物館との接点を持つことができる部分に限られている。その代表的なものが展示評価である。しかし、利用者が博物館に何を求めているのかを調査する際に、調査を受ける側が博物館がどんな活動をしているのか、イメージできなければ、何をしたいのか、何をもとめているのか、という事についての回答は限定されたものになってしまうであろう。博物館がその活動に広く市民参画を望むのであれば、来館者と接点を持つ展示活動や教育普及活動を支えている、目に見えない地道な「基盤活動」にはじまる一連の活動について、理解してもらうための努力が必要である。バックヤードでの活動も含めた博物館の活動全体を理解してもらった上で、回答を求めるべきであろう。この重要な役割への十分な理解を経た後に、満足度調査や評価がなされるべきであり、その手続きを経て、博物館そのもののありようについて問われるべきだと思う。博物館は、どのような活動をしているのか、その総体を市民に理解してもらうための活動を、努力を惜しまず行わなければならないだろう。
また、「基盤活動」からの成果を、もっとたくさん、多様なかたちで市民に提供すべきである、と迫られているのが博物館の現況であり、それは言い換えれば「教育普及活動」の充実と「市民サービス」の充実である。博物館は社会教育法にもとづいて社会教育を担う、社会教育施設である。市民にひらかれ、市民とともに活動すべきであるとの考え方のもと、そのありようについて議論や実践が積み重ねられて来た。展示活動に限らず、教育普及活動という点からも様々な試みがなされて来たところであり、市民による自発的な活動が生まれ、各地で実を結んでいる。また、市民サービスと言う言葉に代表されるように、従来とは違った様々な市民へのサービスやはたらきかけが求められている。このような状況はますます進展するであろう。
より多くの市民に活用され、地域になくてはならない存在として博物館が認識されることは歓迎すべきことである。しかしながら教育普及活動、市民サービスの具体的な内容を考えると、公民館やコミュニティセンターにおける活動やNPO(※1)、地域のサークル等に見られる、博物館以外の場や様々な団体における活動と見かけ上は、差がないように思える。それだけ社会教育活動が成熟している、と言うことであろう。このような状況の中で、博物館はそれら様々な活動を支援し、連携しながらも、博物館ならではの活動を行い、発信して行くべきである。それを支えるのが「基盤活動」である。活動方法はともかく、地域の資料を活用することに依拠すればするほど、その地域によってたつ博物館ならではの個性が浮かび上がるのではないだろうか。そして、その活動目的の核にあるのは「社会教育」である。
博物館活動の現況をふり返ったが、次に博物館と同じように地域社会に目を向けている、公民館活動の現況について考えてみたい。公民館については、博物館界よりも早い段階から、社会教育施設としての必要性の有無やそのありようについて、長きにわたり議論されてきた経緯がある。カルチャーセンターが登場した際には公民館活動との違いについての議論が積み重ねられた。博物館が同じ社会教育施設である、公民館の活動から、学ぶべき点は多い。人と人とをつなぐ役割を担う公民館は、市民の自治力を高め、地域コミュニティの形成を手助けする存在である。しかし現代においては、人と人とがつながる機会や手段はたくさんあるし、つなごうとする、あるいはつながろうとする人々が数多く存在している。コミュニティを経ずとも必要なサービスが入手できるようにもなった。提供されるサービスは、ますます個人へと向けられて行く傾向にある。だが、そのようなつながりは積極的な人々や、問題意識を持った人々のつながりであり、活動である。この点から、公民館の活動は、つながりを持ちづらい人々に働きかける役割を担い、活動しつづけるべきであると思う。ここで地域との積極的なつながりを持ち、地域市民とともにある活動をめざしている公民館活動の事例を紹介したい。
米原公民館は、平成17年2月の合併により誕生した滋賀県米原市の公民館である。平成18年4月より地元の若者によるNPO法人が指定管理者として運営しており、全員20代という日本一若いスタッフで運営されている公民館である。市民主体の「いっしょにつくるみんなの米原公民館」構想のもと、地域の人々を迎え入れ、活動を共に行う運営を行っている。それは活動内容という点からだけではなく、物理的にも来館者とスタッフとを隔てるものを無くすことから行われている。スタッフの事務所と利用者が使用する場とを空間的に区切ることなく、スタッフ事務所を市民の「たまり場」にし、各種事業は部屋で行わずあえてロビーで行い、誰もが参加しやすいようにしている。文字通り利用者との間の壁を無くしているのである。公民館スタッフの役割は、机に向かうことではなく、一人でも多くの来館者、利用者と接することであるとのスタッフの決意と意気込みが感じられる。事務所には畳敷きの場も設けられ、小さな子ども連れ、お年寄りも訪問しやすい環境である。学校帰りに立ち寄る子ども、遊びにやって来る子どもがいれば、その相手になる。地域の様々な世代の人々が集い、集まる場となることで、自ずと交流が生まれ、その中に公民館のスタッフもいる。交流の中から公民館での活動の企画や計画も生まれ、計画が進むに連れて情報も集まり、参加する人々も増えて行く。市民がそれぞれの得意分野を活かす機会が生まれ、地域の人材発掘へとつながる。「公開型職員研修」や講習報告会など、スタッフの学びそのものを市民と共有している。「笑顔とあいさつの徹底が、事業を生み出し、人を繋ぐ源泉となっている」と言う。
活動を進める側、活動に参加する側、という様な分け隔てのない活動である。市民と一体となった、ではない、市民が一体となった活動が花開いている。これは長い間、博物館が追い求めていた姿、市民が自発的に施設を訪れ、日常的に活用される、理想とした施設像ではなかっただろうか。(※2)
社会教育とは何か。市民とともに、市民と一体となった活動の実態とはどのようなものだろうか。教えられる側の学びと教える側の学び。ともに学びながら成長するということ。知識や情報のやりとりではなく、ともに学習すると言うこと。人と人とのつながり。コミュニティの形成。ここでもう少し社会教育活動の実践モデルから、社会教育ついて考えてみたい。
「山びこ学校」は生活綴方運動(※3)の手法を取り入れたもので、子どもたちに暮らし中に潜む問題への気づきを促し、問題を皆で議論しながら、問題解決を図っていった活動である。子どもたち一人一人の問題を皆で共有し、子どもたちが自分自身の問題として悩み、考え、解決して行くところに特徴がある。子どもたちは話し合いが終わったあとも、議論し、あるいは本で調べ、家に帰ったあとは両親に疑問をぶつけたのである。地域社会における問題に皆で注目し、皆で考え解決への道を探る運動であり、政策的に行われたものではない。子どもたちと接する中で、地域社会の問題に向き会う必要性を感じた教師が、生活綴方の手法によって、自発的に行った活動である。今で言うところの、子どもたちによるディベートと行動を教師がファシリテートしたソーシャルインクルージョンである。学校教育、社会教育と役割を区別することなく、やむにやまれぬ思いから行われた活動であり、そこから同じ思いを持つ人々との連携が生まれ、運動となったものである。「子どもの教育だけのもんだいではない。わたしたち大人がうまれかわるために、とくにインテリも学者も、「生活綴方的自己教育」が必要なのだと思う。」(※4)との言葉から、現在の社会教育、学校教育の現場で発生していることについて考えてみると、地域の課題と向き合い、その状況を改善すべく活動する人々の存在が見られる一方で、「自己をふくむ集団」(※5)の問題であるとの意識が地域社会から希薄になってきていることが感じられる。
博物館活動においても、地域の資料を取り扱い、様々な活動の場面を通して、市民が「自己をふくむ集団」について認識しながら、学習することができるようにする、という視点は重要なのではないか。それは公共性を学ぶ、ということかもしれないし、それは社会教育が目指すところでもある、豊かな地域社会を形成する、ということにもつながっている。
ここで再び博物館の話に戻り、地域へ積極的にかかわり、「基盤活動」と「自己を含む集団」への学習と結びついている、博物館、美術館の事例を紹介したい。博物館や美術館の活動に参画しながら、市民が学びを楽しみ、活動を通して博物館や地域への親しみを感じている。結果として、博物館とは美術館とはどんなところなのか、何をしているのか、その存在意義を伝えている事例である。
平塚市立美術館では、展覧会を教育活動の場と位置づけ、市民参加による多様な活動を行うことに成功している。地域の画家の僅かな情報を手がかりに、1人の学芸員と17人の美術館ワークショップクラブのメンバーが作品の発掘をおこない、作者の情報を収集し、その活動成果を展覧会に結実させている。展覧会では、地域の画家の作品展示を美術という分野にとどめずに広くとらえ、画家の生まれた地域に関する歴史資料を作品とともに展示している。美術館に於いて美術作品と歴史資料等が展示空間にあわせて展示されるという例は少ないが、画家の生まれた地域を歴史資料により紹介することで、地域の画家とその作品への関心が高められ、身近な存在として感じられる構成としている。本来、美術館での鑑賞は静かに観る、というのが決まり事であるが、展示解説者や来館者が作品や関連資料について語り合う場を展示室内に設け、来館者自身も作品や資料に対しての情報提供者になるというしくみをつくり出している。また、報告書についても、執筆、編集にいたるまで学芸員とメンバーとの協働作業によるものである。
美術館の教育活動を美術という分野にとどめることなく、地域の歴史文化等に広め、美術館活動と地域の人々とのかかわりや、接点を広めることに成功している。メンバーは一連の活動を通して美術館の役割や活動への理解を深め、身近な地域の美術館として強く認識したことであろう。学芸員はメンバーとともに作業を進めるなかで、美術をどのようにして楽しむのか、活動のどこに「学ぶ喜び・知る楽しさ」を感じているのか、美術の多様な楽しみ方を確認することができたという。市民がともに美術館活動を進めている好例ではないだろうか。(※6)
大阪市立自然史博物館で骨格標本づくりを行う「なにわホネホネ団」は、博物館内部ではじめた、骨格標本づくりサークルに、利用者が参加しはじめ、次第にメンバーが増え、博物館活動の一部分を担うサークルにまで発展した例である。通常はバックヤードでの作業として、利用者の目にふれることもなかった博物館の活動に、利用者が興味をもち、博物館スタッフと同じように、博物館での活動を楽しいと感じていることがわかる。骨格標本は不慮の事故で死んだ動物からつくるそうである。自然史博物館では骨格標本づくりにはなかなか手がつけられなかったそうであるが、サークルが出来たことにより、冷凍保存されていた動物の骨格標本づくりにまで着手できたそうである。学芸員の指導により、ステップを踏んで標本づくりの技術を得ることができ、習熟度に応じ対象動物が変化して行くという。骨格標本づくりは小学生に人気があり、最年少は7歳で、サークルがこれまでに手がけた標本は、哺乳類100点以上、鳥類は50点近くに及ぶという。
利用者の目に全く触れることのなかった活動、博物館内で行われて来た地道な作業である標本づくりが、利用者の心をとらえ、博物館運営の一翼を担う活動にまで発展した例である。利用者からの思わぬ反響により、博物館内部で行って来た活動が、利用者向けのプログラムへと変化して行く。このように発展する可能性のある活動は、博物館にはまだまだ存在するのではないだろうか。(※7)
前述の2つの事例を見ると、実は、博物館、美術館の活動の楽しいところ、おもしろい所が、今まで体験できる機会が少ない状況だったのではないかとも思えてくる。当然、様々な活動やサービスが提供される博物館での体験には、楽しさやおもしろさが存在しているが、博物館活動の全体、資料の調査、収集、保存、展示という一連の活動の流れを体験する中で、学習する楽しみを感じてもらう、知ってもらうことが、今必要とされているのではないだろうか。学習することの楽しみはプロセスにこそ存在している。そこでの学びは、与えられるという受動的な意識や行為ではなく、自ら手に入れようとする自発的な意識や行為により生まれるものである。知るよろこびは、受動から能動に変化する時にこそ存在するのではないだろうか。
「基盤活動」にはじまる、博物館の一連の活動は、自らが住む地域の過去、現在、未来に対して行われているのだということに市民が気づき、そして「基盤活動」にはじまる博物館活動は、「自己を含む集団」にかかわる活動であるとの意識を市民一人一人が感じることができる、はたらきかけと活動を継続して行うことが何よりも重要である。それは、博物館の活動そのものへの理解を促す活動を行うことであり、それはまた、地域の歴史文化の興味関心、文化財がなぜ大切なのか、民具や古文書がなぜ博物館の収蔵庫に大切に保管されているのか、その意味と必要性が自然に受け入れられていく状況を醸成していくことである。「博物館や美術館は、資料や情報の保存や伝達の装置であるだけでなく、新たな意味や価値を創出する装置でもある」(※8)点から考えると、時代ごとに「現代」にそくした解釈、研究成果に基づく紐解きも必要となる。「現代」にそくした解釈とは、資料に「現代」を投影して見ることによって浮かび上がる姿のことである。それは、資料と向き合う者の「現代」への洞察力が高ければ高いほど、より豊かな出会いとなるであろう。
博物館が収蔵する資料に、何十年、何百年後かの「現代」が投影された時、果たしてどのような像が結ばれ、姿が浮かび上がるのか。どのような驚きと感動をもって人々に迎えられるのか、その出会いの時を思い描きながら、資料と向き合う必要があるのではないだろうか。それは博物館業務に携わる人々が実務の中で具現化するのみならず、博物館を利用するすべての市民が共有していいことであると思う。
補注)
(※1)NPO法人の設立数の推移
平成10年12月に特定非営利活動促進法が施行されて以来、NPO法人の認定数は増加の一途をたどっている。ここ数年では、7685(平成15年4月)13777(平成16年4月)20350(平成17年4月)26713(平成18年4月)と毎年約6000団体づつ増加している。活動分野を構成比が高い順で見ると「保健、医療又は福祉の増進を図る活動」「社会教育の推進を図る活動」「まちづくりの推進を図る活動」となる。(内閣府HPより)
(※2)参考 高見啓一氏「若者のNPO法人による公民館運営と市民活動・生涯学習支援」東京学芸大学多摩川 エコモーション現代GP 第10回講演会 2006年11月
高見啓一氏「若者がNPO法人を立ち上げて公民館を受託」『月刊社会教育』2006年12月
(※3)生活綴方運動は、子どもたちが日常生活の中で感じたことを綴方(作文)にし、それをもとにした討論を通して、問題意識を共有し、また問題解決への道を皆で探るという、子どもの人格形成の方法として行われた教育運動である。1930(昭和5年)前後から小学校教師を中心として起こり、戦時中は弾圧され、戦後再び1950年頃から再開した。無着成恭氏の『やまびこ学校』等に活動は結実したとされる。その後、子どもたちだけではなく、労働者や婦人会、青年会など、学校外での生活記録運動に広がった。(参考『日本史辞典』角川書店)
(※4)鶴見和子氏「『山びこ学校』は歴史を創る」(無着成恭氏 編『山びこ学校』岩波書店1995年所収)
実践報告の中で語られた、無着氏の言葉として記されている。
(※5)鶴見和子氏「『山びこ学校』は歴史を創る」(無着成恭氏 編『山びこ学校』岩波書店1995年所収)
鶴見氏は『山びこ学校』を読んだ印象を「「自己をふくむ集団」の問題として、一緒に考え、解決しようと努力していることである」と記している。
(※6)参考 端山聡子氏(平塚市美術館)+〈もの〉ワークショップクラブメンバー諸氏『生誕100年目の発見 湘南の洋画家・大貫松三展報告書―調査と展示の記録―』平塚市美術館 2006年3月
(※7)参考 「骨まで愛して標本作り◇なにわホネホネ団、動物の生きたあかし次代に◇」日本経済新聞 2006年4月6日
(※8)参考『情報学事典』弘文堂